空が青い。遠くの雲も真っ白く、海面も荒れた様子はない。海上はしばらく穏やかな時間が続きそうだ。
 天候は人の気持ちなど考えてくれない。甲板に出ると決めたのは己自身だが、鬱屈とした気持ちで浴びるには晴天は眩しすぎた。

「テッド」

 天気に似合う明るい声色。嫌な奴そのいちの登場である。
 嫌な奴というのはテッドからの印象で、事実としては船内で果敢にも彼に声を掛けてくる人間という意味である。そのに、そのさんは弓使いと軍主だ。当初はその日会った順で番号付けしていたのだがいつからか番号が決まっていた。数字が若いほど遭遇率が高い。
 彼らはテッドが無視をしてもしぶとく、懲りることを知らぬと言わんばかりに諦めずに何度でも声を掛けてくる。暇なのかと思うが少なくとも軍主が暇なはずはない。
 そのいちと呼ぶ相手はテッドの顰め面にも負けず今日も話しかけてくる。

「今日はひきこもらないで日向ぼっこ?」
「話しかけるな」
「やっぱり少しは日に当たらないと鬱々しちゃうからねぇ」

 毎度のことだが会話という概念を理解してるのか、というぐらい彼女はテッドの意見を無視してくる。邪険に扱っても懲りずに話しかけ、笑いかけてくる。今日は気分が良いのかだとか、この前食堂でマグロ美味しそうに食べてたねだとか、とにかくうるさい。食堂で視線を気にするようになったが気にしても避けようもないので最近のテッドは諦めの境地に至りつつある。
 つらつらと好き勝手に喋り、時にそれはテッドには一切関係のないこともあったが彼女はお構いなしだった。くだらない内容も多かったけれど、今日のようにふとした沈黙の後、突然真面目な顔で話しかけてくるのも初めてではなかった。突拍子もないのに彼女はテッドの本質的なところを朧げに理解している。

「ねぇテッド、死に急いだらだめだよ」
「突然なんなんだ。俺は死ぬつもりなんてない」

 この身に紋章がある限り、あの遠い日の彼に会うまで、死ぬつもりなんてない。くじけた心は取り戻した。また挫けるだろう。嘆くだろう。怒るだろう。それでも生き抜くつもりだった。
 それは限りある生の目の前の相手には関係のないことだ。別の呪いを抱える相手には関係のないことだ。
 己より短い時しか生きていないはずの相手はその瞳に心配の色を灯らせ、テッドを年下のように見つめてくる。

「テッドは子どもになれないまま死んでしまいそうで、心配」
「ガキじゃない」

 言い返しながらもそれ自体が彼女の言う子どもそのものではないかとテッドは表情を歪めたが彼女はそれを指摘することもない。テッドの言葉に彼女がムキになるどころか気に留めることすらなく淡々と返してくる。こういう時、普段ならば気配を察知し嫌がらせのように話しかけてくるそのに、そのさんは姿すら見せない。そうして彼女はいつもが嘘のように静かになる。

「ガキじゃなくて、子どもだよ。ねえテッド、楽しく生きてなきゃ生き急いでるみたいなものじゃん」

 はっきりと言い切る言葉はテッドにとって何が言いたいのかさっぱりわからない。楽しく生きる以外が生き急ぐなんて、そんな論は支離滅裂だ。論にすらなっていない。
 そのはずなのにその言葉はなぜか胸に刺さる。楽しく生きるなんて、そんなことを考えたこともない。考える気もなかった。
 ただ、短い時間ながらも気配を覚えるぐらいに話しかけてくる彼女について多少ならわかることがある。
 生を楽しまなければこの女はこの調子じゃ船を下りても世界の果てまで追って来るだろう。本当に追って来ても来なくても、この声は、言葉は、今ある意味呪いの様にテッドの中に入り込み根付いた。そんな気がした。

「飯がうまいんだ。とりあえず十分だろ」

 なんとか吐き捨てるように紡いだ言葉でも、彼女からしてみれば十分な価値があったらしい。
 途端に目を輝かせるその瞳は青空の下でなお一層輝いている。きらきらと、太陽の光を反射するように瞳の中が反射して、眩しく、一歩後ずさる。
 そしてこの後一緒にご飯を食べようと言い出すのではと構える己に、気づけば思わず笑っていた。



(曇りのち晴れ)