夢だと、そう思った。
だから彼はこの夢の中では自由だった。それを自分で自覚していた。夢だから、目が覚めてしまえばすべてなかったことにできる。
だから何もかも置いてきたはずの己の目の前に現れたその女性がこちらを睨むようにしているのに器用に泣いているのも夢なのだろう。
甘えだとか優しさだとか、そんなものは当の昔に捨ててしまったはずだった。
その象徴のような目の前の存在を彼はもう突き放して久しい。
だからこれは夢だった。もう遠くに置いてきた未来の象徴がここにあるのは彼の愚かな願望に他ならない。
「僕は、まだこんなにも愚かなんだね」
「夢なら触れても許されると思ってるの」
涙を流す彼女のその目元を指で拭っても静かに流れる涙が止まることはなく、そういえば本当の彼女の泣く姿なんて見ることなく己は姿を眩ませたのだと思い出す。
特別に彼女との仲を表す術をルックは持ち得なかった。それは彼にとって未知なるもので、それを名付けることはおそろしいことのように、彼には思えた。
「夢ですら僕にはきみに触れる資格はないだろうね」
「なのにルック、きみは私に触れるの」
「だって、これは僕の夢だ」
彼女が感極まって、彼と再会したことで泣くようでなくて良かったと、今心から安堵していることなど彼女は口にしたらもっと詰るだろう。
恨まれても憎まれても仕方のない不義理を働いたのだ。彼女の信頼と親愛を、己に向けられたあたたかいものすべてをルックは投げ捨て、背中を向けて逃げ出した。
それでも夢であっても、睨まれても、泣かれても、再び彼女の魂の輪郭に触れられているのなら、ルックはもうどうなっても構わなかった。
「これは、もういなくなった僕の弔いだよ」
己の腕で抱き締めた彼女は緩慢に回される腕を避けることなく、それどころかすべてを夢の名に任せて感傷に浸り、そのくせきつく抱き締めることもままなず、彼女の背中に手を添えるだけの、そんな彼の頬を思い切り両手で挟んでみせる。
「殺してなんて、やらないわ」
少し乾いた唇の感触がいつか感じたそれと同じで、ルックはもう流すことのない涙の代わりにただ微笑んだ。
「いい夢だね」
「最低よ。あなた、自分だけが夢を見てると思ってる」
「違うんだろう? でもこれは夢だ。だから、いい夢だ」
そう言うと彼女はその瞳を揺らし、大粒の涙を一筋、流してみせた。
「死なせてなんて、やるもんか」
「きみがそういったことだけ、記念にもらうよ」
ばか。
逃さないように抱き締められかけて、その感覚を感じきる前にルックは夢から目が覚めた。
(いつか見た夢)