「精霊とは違う愛らしさ!」
「そういうことは心の中で言うように」
トゥーリバーがどうやら戦場になりそうだということでこのコボルト村でも援軍を送ろうと慌しい。そんな中での場違いな一言である。は慣れた調子で斬って捨てた。彼女の発言など可愛いものだ。なかなかに濃い人生を送ってきた少年にとってはこれぐらい序の口だった。
注意されてからのはコボルトの村に入った瞬間から宿屋に落ち着くまで一言も言葉を発しなかった。その分宿に入ってからコボルトの愛らしさに感動し騒ぎにどこが可愛らしかったかを丁寧に語ってくれた。
コボルトたちの魅力に取り付かれたがここにしばらくいようと言い出したのは到着したその日の夜のことだ。ユニコーンという珍しい生き物もいるらしい森にも行きたいらしい。「乙女にしか来てくれないらしいよ」とが笑顔でのたまったので「勇気ある騎士の前にしか現れないらしいね」とも笑顔で返してやった。結局行くかどうかは未定のままである。
これ以上先へ進むと戦地の気配が濃厚のトゥーリバーを通ることは間違いない。状況を見極める意味もあり、の希望通りしばらく滞在することになりそうだった。
「しっかし戦争なんて縁がなかったからなんかなあ」
「平和そうだよね、そっち」
「十二、三年前には大国が戦争してたらしい。私の国からは離れた出来事だったから噂に聞いたぐらい。戦争なんてただの殺し合いで非生産的だよ」
「そっか」
の言葉は淡々としている。なにしろ彼女は外側の人間だ。戦争を起こした人間の事情も知らない。そこに込められた思いも知らない。ただ国同士が戦争をし被害を多く生み出したということしか知らない。端的な事実だ。彼女の語る戦争は関係のない民からすれば当然の思いだろう。
けれど苦笑いを浮かべるはそれ自体を端的に述べてはいるけれど陰に潜む色には気付いた。軽口のように出されたそれはも似たように口にしたことがある。その手が血に染まったことがある者特有の陰だ。
魔物を手にかけることに躊躇いはなかった。紋章を手にして日は浅いけれど戦い慣れてる彼女はから見ても随分な手練だ。戦いに躊躇は邪魔だと知っている。理解している。身体の反応の方が早いのだ。そして意志はそれに逆らわない。
「まあ人間二人以上いたら必ず意見の相違がありそれは大なり小なり争いという戦争だから、なくなるものでもないけど」
「冷静だね」
「戦いに身を置く人間なんて何だかんだ言ってみんな冷めてるよ。私もそうだし、もそう」
私より奥が深そうだけどねとさらりと言い放つの言葉は鋭い。人の過去を暴く無粋は決してしないけれど過去を察することは容易にしてみせる。が何を背負うのかを彼女は知らないはずなのにの引いているラインより内側には入ってこない。むしろその線を知っているように一歩手前で踏みとどまる。
「ねえ、明日ユニコーンの森に行ってみようか」
「ユニコーン、現れると思う?」
「気が向いたら現れるでしょ。というか現れないと許さない」
絶対に見てやると意気込んだはふらふらとした足取りで部屋を出て行き翌日熱を出した。
「ユニコーンが遠のく」
「分かったから黙って寝てなさい」
おそらくは突然の環境の変化に体が無理をしてきた結果だろう。頬を赤く染めてうつろな目でまだしつこくもユニコーンの単語を口にするは明らかに正気ではない。
はとりあえず症状を見て氷嚢やタオルなどを用意しに与えてからコボルトの医者を呼んだ。ここには人間はほとんど住んでいないので医者はコボルトだけなのだ。
医者は二、三日もすれば良くなると人間でも大丈夫だと言って薬を処方し大きく曲がった背中を見せて帰っていった。おそらくが見ていればおじいちゃんコボルトも可愛いと騒いだのだろうがあいにくそのときは夢の中だった。不幸中の幸いである。
「、治ったら戦争終わってるかな」
「早ければトゥーリバーでの戦は終わってるし、長引いてるならしばらくはここに逗留だね」
「そっか。……ねえ、ユニコーン、やっぱり見なくて良いよ」
意識もおぼろげなのだろう。それなのに見なくて良いと、その一言ははっきりと意志がこもっている。昨日意気込んでいたこととは正反対だ。
熱に浮かされて言ったことをよく分かってないんだろうか。は額に乗せたタオルがぬるくなっていることに気付きそれを額から外し水にひたす。冬のように手が痛くなる季節ではないのは幸運だった。苦もなく再び冷たくなったタオルをの額に乗せた。額のひんやりとした感覚に肩の力が少しゆるんだ。
「ユニコーンに会いたいんじゃないの?」
「会えるわけない。だから、行かなくていい」
自嘲するはが初めて見る顔だ。
が出会ったときから彼女はよく笑いよく怒りよく楽しんだ。時折見せる冷静な顔もあったけれどこんな表情は見せなかった。
「会えるかもしれないだろう?」
「清く美しい乙女にしか会えないでしょ。私は清くも美しくもない。手は血にまみれてる」
「……俺の手もだけど?」
「知ってるよ。そもそも乙女じゃないでしょ。……熱はだめだね。人をダメにする」
言うつもりなかったのになと嘆息する姿はからすれば「らしく」ない。
それは自身もそうだったらしく最悪だと疲れたように目を閉じた。
「治ったら元通りになるから、今日のことは忘れてあげて」
「どうしようかなあ」
「……」
「冗談だよ。は優しいからわがままぐらいいくらでも聞いてあげる」
「どこが?」
病人とこれ以上おしゃべりするのはあまり良くないのだがはついついしゃべってしまう。随分と長い間一人でいたから人と話すことに飢えているのかもしれない。たった数年と言えればいいが彼にとってはとても長い時間だった。
若い者が遠征に出ているコボルト村は静かかと言えばそうではない。子どもたちは賑やかに遊びまわっているし女たちは心配は胸の中に常に秘めているだろうがそれを見せず笑い合っている。すぐに帰ってくる。そういう願いを込めて、日常を繰り返す。
戦が近くで起きていても、土地の人間が戦いに出ていても、日々は続くのだ。その日々はある日突然なくなるかもしれない当たり前ということをは知っている。隣の相手が明日いなくなる現実を知ってしまった。だから目の前にいる相手に躊躇うのは止めた。
「俺を、受け入れてくれた」
「私、に拾われたはずなんだけど」
「拾い拾われってところ」
「捨てられたの?」
布団に入っていたはずのの手がの頬に伸びた。少し汗ばんだ手がの頬を撫でた。頬を撫でるその手は熱と闘っている証に、生きている証に、あたたかい。
その手を左手で包むように触れは微笑んだ。
「俺が捨てたんだ」
「おいで、捨て猫」
「俺は捨てた飼い主の方だけど?」
「猫でしょ。飼い主の迷惑になりたくないいじらしい猫」
気だるげに起き上がりゆっくりと抱きしめてくるその身体には逆らうことなく身を委ねた。
(捨てる神あれば拾う神あり)