「んー、だいたい分かった」
「三日でだいたい紋章のことわかるあたり自称凄腕も伊達じゃないね」
「失礼な! 自称してるけど他称もされてるよ!」
「どうだか」

 出会って三日、すっかり馴染んだ二人はグリンヒルという街に到着した。

 別の世界の人間だというがまずに求めたのはこの世界での魔法の在り方だった。魔法を身につけて生きてきた身としてはそこを落とすわけにはいかなかった。
 まず真っ先に尋ねられた内容には楽しげだったが、生活に必要な知識も確認しようと後から付け足した。幸いお金の単位こそ違うが物価もたいして変わるわけではない。旅人として生きるには問題ない程度の知識の差だった。
 が最も欲していてそしてこの世界との世界とで最も大きな差があるのが魔法の在り方だった。根本が違うのだから当然の魔法がこの世界で使えるわけがなかった。

「依り代が違えば当然私の魔法も発動するわけないか」
「でもその右手の魔法は消えてないんだろう?」
「これは……私がここに来る原因になった憎たらしい星竜の魔法! こういうときだけ人外の力を見せつけて! 帰ったら絶対に勝つ!」

 は毎日のように呪詛を向けられる相手に合掌だ。こんなに毎日呪われたら本当に身体に何かが起こりかねない。まあ仲が良いとも取れる熱意のこもった言葉ではある。
 彼女が何一つ魔法を発動出来ない中で右手の甲に刻まれた美しい赤い紋様だけは魔法の気配を残して存在し続けている。魔法をかけた相手が自主的に魔法を解くか死ぬか、どちらかが起こらないと一生消えないだろうとはの言だ。
 も彼女の右手からその魔法の痕跡を感じ取り彼女が魔法を使えないと言った理由を理解した。
 ここに存在する魔力とは違うのだ。からは魔力が感じられるのだが言うならばその組み立て方が全く違う為には現在魔法使いの名を冠していながら魔法を使えない事態に陥っている。

 グリンヒルにたどり着くまで魔法を使えないは手に持っている杖は腰のベルトに入れたまま全て格闘技で敵を倒した。「って本当に魔法使い?」とに不思議そうに言われるほどの技の冴えは抜群だった。実際魔法学院に通う傍ら孤児院の知り合いにタダで教えてもらっていたところ道場を継がないかと誘われたほどである。
 それはそれでにとっては面白そうだったのだが一番は魔法だった。どんどん魅入られていき格闘技もとても大好きだったが魔法には及ばなかったわけである。それでも一般人を襲うような魔物程度なら倒せるぐらいにはなっていた。

「魔法。魔法が欲しい。ねえ、私紋章宿せると思う?」
「んー、魔力自体はあるみたいだから大丈夫じゃないかな」

 じゃあ紋章屋に行こうとを急かした。紋章を買うほどのお金はないよ、とが言えばは自身の首元から大きな宝石がついた首飾りを出した。
 真っ赤に輝くそれは売れば大金になるだろう。大粒のそれはこの世界でも十分な価値がある。彼女がしばらく旅をするにも十分なぐらいだ。

「随分高価なもの持ってるんだね」
「ん? 私の世界でだけど、旅の途中で宝石商のおじさんが盗賊に教われてたから助けてあげたのよ。お礼がしたいって言うからもらってきた」
「……無理矢理?」
「失礼な。この中からどうぞ好きなものを選んでくださいって言われたものから選んだって」

 たまたま道中に出くわしただけだったが、貰った宝石はいざというときの換金道具として今までの首にかけられていた。他にも彼女が見につけている物の中には換金できる装備が多い。装飾品はよほど思いいれがなければすぐに売り払ってはときどき新しいものを仕入れている。
 旅の道中は何が入り用になるかわからない。用立てができるように装飾品を身に着けるのも行先のない旅での知識だ。

「俺も旅の身で持ち合わせがあるとは言えないからさすがに紋章球まではおごってあげられないしね」
「魔法なんてものはどこでもお金が要るってものね。さーて、紋章屋はどこかなー」

 そもそもまず道具屋なり鑑定屋なりで宝石を売らなければならない。が指摘してやると空笑いを上げながら適当に鑑定屋を見つけて入っていく。隣に紋章屋もあったので都合は良かった。

 宝石はの目からしても妥当な値段で売れた。とある事情で交易は詳しくなっている。だからの宝石の値段の相場もだいたいだが見当はついていた。五行の紋章でも三つは確実に買えるぐらいの値段だ。
 ほくほく顔では隣の紋章屋に入る。も保護者のような気分で後に続く。見た目では大して歳が変わらない二人だが行動では完全にが年上だ。そして蓋を開けて実年齢を確かめてみればの方が年上という事実が待っているのだがまだ二人ともそれを知らない。

「いらっしゃい。……あら、珍しいお客様ね」
「ジーンかい? 久しぶりだね」
「知り合い?」
「まあね」

 は入り口で立ち尽くしていたのでがひょいと顔だけ覗かせて店内を見れば納得できた。美しい女性が刺激的過ぎる服装で出迎えてくれているのだ。固まるのも無理はなかった。もはじめて会ったときは反応に困ったし目のやりどころにも困った。慣れとは人間の偉大な習性だろう。
 に促されてはぎこちない動作ながらもジーンの前に立つ。近くで見るとさらにはっきり見える姿には眩暈を覚えていた。踊り子でもこんな際どい衣装は着ない。それなのにこの神秘的な雰囲気と並々ならぬ魔力に二重の意味で驚きである。

「あの日の朝はみんな大捜索で大変だったわよ?」
「あー、うん。予想はしてたけど、決めてたからね」

 困ったように笑うはその話題を避けたいらしい。ジーンもそれ以上は何も言わず、微笑んでいるがの視線はジーンからに移っている。大捜索だなんて、そう使う言葉ではない。

、きみって実は家出少年?」

 が試しに口を挟めばまあね、との苦笑い。ジーンはくすくすと笑っている。
 家出少年にしては世間について知っている。一時の勢いで出てきたわけではないのだろう。腕もある、頭の回転も早い、魔法の腕も恐らくは良いだろう。こちらに慣れてから感じ始めたの魔力は洗練されている。さらに言えば立ち居振る舞いが洗練されている。幼い頃から躾けられていなければ身につかない所作だ。良い家の出に間違い無さそうである。
 そうやって見てみればどうも事情のある家出のようだが、はそれ以上口を開くことは止めた。
 が話したければ話せば良い。はあくまでも期間限定の旅の連れだ。話したくないことを無理に聞くあつかましさは持ち合わせていなかった。

「それで、今日は彼じゃなくて不思議なあなたがお客さん?」
「客は私で正解だけど、不思議って、私が?」
「ええ。不思議な加護を受けてるのね。どこの世界の人かしら?」
「それは多分龍の加護……ってジーンさん、今なんておっしゃった?」

 不思議な空気に飲まれてついついしゃべっていただが会話の中の不自然さに気付いた。普通の人なら尋ねないことを彼女は聞いてきた。隣のはたいして驚いていない。苦笑いだ。看破されることを半ば予想していたようで随分と落ち着いている。分かるんだねと、コメントできるほどだ。
 一方は目の前の美しい女性の異質さを改めて肌で感じている。見た目だけではない。彼女は何かにとって背筋を伸ばすようなものを持っている。心を見透かすような何かを持っている。
 深まる笑みは妖艶であり謎めいていてを恐怖させるに十分だった。隣のの両肩を掴んで思い切り力の限り揺さぶる。

! この人は一体何者!? なんでこんな人と知り合えたの!? というかこの魔力は」
「あら、それは秘密なのよ」

 大きく体を震わせるはぎこちない動作でジーンの方を向いた。にこり。それ以上の発言は許さないのよと言わんばかりの笑顔。が隣でぽんと肩を叩いてきた。視線を向けたら首を横に振られた。逆らってはいけないらしい。
 はこの人について何か分かっても口に出すまいと心に決めた。それが発覚した日には間違いなく消される。何が消されるかはにも分からなかったが何かを消されると本能的に悟る。

「それで、お嬢さんの用事は?」
です。……紋章宿しに来たんですけど、出来ますか?」
「多分、それだけ魔力があれば大丈夫ね。手を出してくれるかしら」
「は、はい」

 相手に怯えたりはしないがジーンの前ではがちがちである。のようになったことはないが不必要に彼女を詮索した人間がこれに似た症状を出したことは知っている。その中にはがけしかけた人間も数人いるのだがそれを見ても彼女に要らぬちょっかいをかけることは止めた。「おいたが過ぎるのはだめよ」なんて通り過がりに言われたら誰でも止めるというものだ。
 はおそるおそる右手を差し出した。紋様のある手だ。ジーンはそれを興味深そうに眺め、触れた。そして幾らかもしないうちに手を離した。恐怖心以外でドキドキしたことはだけの秘密である。

「右手の力があなたが元々持っている力の具現なのね」
「まあ、非常に悔しいところですけどそうですね」
「その右手は何も宿さない方が良いわ。左手と額なら大丈夫」
「ジーン、なんでダメなんだ?」

 当然の疑問だろう。元々魔力の高い人間は右手、左手、額という順番で紋章を宿せるようになる。魔力が低い人間でも右手だけ、もしくは両手に紋章を宿せるようになる。
 は本人が自称しただけあって初めて紋章をつけるというのに額まで宿してもいいとジーンの判断が出た。それは魔力の高さを示している。ジーンは腕のない人間にいきなり二つも紋章を勧めたりはしないから操れるという期待があるのだ。
 ますます不思議になるのは右手がダメな理由である。紋様に理由があることは二人とも気付いていたがジーンの理由は予想外に深刻なものだった。

「右手に宿すと死んでしまうかもしれないから」
「死ぬ!?」
「……ああ、加護」
「そういうことね」

 は納得したらしい。紋様を持った本人だけが慌てて右手を見てそして分かったらしい二人を交互に見つめた。小憎たらしい相手がつけたのは追跡用の魔法だ。人間には作れない高度な魔法のつくりをしているけれど人間が使う追跡魔法と似ている。だからもこれが目印であることを理解できた。
 ただその目印がなぜ生死に直結するのか。それがますます疑問だった。

「どうして?」
「んー、、この前こっちの竜の話しただろう?」
「ああ、うん。竜は別の世界の生き物だからこの世界の真の竜の紋章がなきゃ生きていられ……ってそういうことか! でもこれ追跡魔法だけじゃない?」
「あら、気付いていないの? あなたには二つほど魔法がかかってるわよ。一つはその追跡用みたいだけど、もう一つも紋様を中心にしてあなたを守るようにあなたの周りに満ちている。あなたが気付かないようなほど静かに」

 ジーンは事情を全く知らないのにどんどん見抜いていく。一目での正体を見破ったところからすでに人間業ではない。はその理由を聞こうとは思わない。も聞く気など毛頭なかった。
 ただは視線を落とし右手に刻まれた美しい火の色をした紋様を見つめた。魔法をかけた者の意に沿った紋様なのだろう。は見たことがない。そしてなぜだか炎を見ているのにそこに風を感じている。確かに火を下地にしたのだろうに紋様には風も模しているのだ。美しい、それだけで芸術だった。

 美しいと認めただけでもしゃくだ。これがなければ向こうの世界に帰れないというのも非常に悔しい。はそれだけでも相手に負けに負けたという思いだ。それでも帰るためには仕方がない。我慢をしなければならない。
 だが、これが自身の命すら助けてくれていたのだと、それを知って驚愕だ。この世界にはを守ってくれる力がない。世界の根底が違う。そんな中に無防備に放り出されたを守ったのはあの生意気な星龍が残した魔法だという。

 ふるふると体を震わせる。が耳をふさいだ。ジーンはそれを見てあら、と言いながらも自身も耳をふさいだ。
 負け惜しみであることはも分かっている。とっさにかけられた魔法であり相手に何の他意もないことは明らかだ。あのときの相手は見たことがないぐらいに必死だった。
 それでも、には耐えられない悔しさだった。

「セインのやつ! 魔法じゃなくてもこの際甘んじよう! この鍛えた格闘技で地に伏せてくれるぞばっかやろー!!」

 爆発した。


(ただいま思考回路混乱中)