彼女が気が付いたとき、世界は闇に包まれ夜空には星が瞬いていた。埋め尽くさんばかりの星。彼女が旅をしてきた中で見上げた空と同じように満天の星空である。

「起きた?」

 その声は彼女のすぐ近くから降ってきた。その声を聞いて相手の顔を見て焚き火をしていることに気づく。そして自分が迷惑顧みず助けをすがった相手ということにも気付いた。
 一人旅のようだったからてっきり旅慣れたそれなりの年齢の人間だと思っていたのだが目の前の相手は彼女より少し年下の少年だった。

「さっき駆け寄った旅人さん?」
「そう。突然叫ばれて走り寄られて気絶したきみを介抱した旅人」
「ありがとう。助かった、本当」

 口に出されたのは嫌味だったが不快になるものではない。からかうように言われたが人の沸点というものをだいたい掴んでいるらしい。彼女はすぐに感謝の意を述べた。
 火を焚いているように既に日は沈み辺りは暗闇で包まれていた。とはいっても星明りで随分とそれも緩和されている。街の中でも星空は拝めるが旅先の野宿の醍醐味はこの星空にある。手を伸ばせば届きそうな星空を見て旅をやめられなくなる。彼女が途中で出会った旅人が苦笑いを浮かべてそう漏らしていたがあながち笑える話でもない。
 眩しいわけではないけれど星を見つめる目を細め、堪能した後でようやく起き上がる。少年は彼女の一時を邪魔することなく起き上がったところで再び視線を向けてきた。間の取れる少年である。

「助けてもらったのに自己紹介もしてないね。私は。助けてくれた美少年、お名前は?」
「俺はだよ、。……それにしても美少年、ねえ」

 の苦笑いはには分からない。否定はしていないが困ったようにしている。
 は夕飯を食べようと詳しい事情を聞く前にそう言い出した。というのものお腹の虫が盛大な音を立ててくれたからである。それに対して照れ隠しなのかけらけらと笑いながら食べ物を恵んで欲しいと頼んだは随分と肝が据わっている。

 乾パンと干し肉、それから熱いお茶。野宿にしては上出来の品だ。二人はよく噛みよく味わって食べる。は食事中はほとんどと言っていい程しゃべらなくなる性質なのでには見向きもしない。もそれにならって黙って食事をした。

「ごちそうさま。貴重な食糧を恵んでもらって助かったよ。ありがとう」
「見事な食べっぷりで俺も食料を分けた甲斐があるよ」
「お金稼いだらお礼するよ。魔物から取った分でお礼になるならしたいものだけど」
「どういうこと? 今は無一文ってこと?」

 野宿と分かっても厭わず食事に特に何も言うことなく手馴れた様子のは旅人の部類に入ることはも分かる。旅も知らないお嬢さんは固いパンに文句は言わなくても顔をしかめる。量も十分とは言えない。なにしろこれはが自分に必要な分だけ買っていたものだ。もしものために余裕はあったがそれを丸々に振舞ったわけではない。街は遠くはないが念には念を入れているのだ。
 は特に何も言わなかったがそういった事情も理解しているようだった。少ない量のパンを十分すぎるほど噛み、肉だってが感心するぐらいよく噛んだ。そういうことを無意識でやる人間は旅慣れており食というものがどれだけ大事かを理解している。もそうだった。

 そんな風に旅慣れた人間が草原のど真ん中で身一つで彷徨っていた。には不思議でならない。の人柄などは掴めていないものの旅人であることは確かだ。それもきちんと心得を持っている旅人。
 そういう人間こそ準備は怠らない。地味な作業こそが命を助ける術だと身に染みて分かっているはずだ。

 事実問われたは苦笑いだ。止むに止まれぬ事情で身一つで草原に放り出されたのだという。
 は幸か不幸かそうした事象に心当たりがあった。悲しくて涙が出てきそうなぐらい不思議な場所に飛ばされた経験があるのだ。

、誰かに紋章で飛ばされてきたの?」
「んー、魔法の掛け合いしていて空間が裂けたところに飲み込まれたってところ」
「それってさ、」
「うん?」

 さらりと爆弾発言をしてくれた。は盛大なため息。一人旅をしてこれといって大きな事件にも巻き込まれず平穏な日々だった。それがとうとうここで爆発したのだろうか。それとも以前から厄介ごとを呼び込む体質が復活したのだろうか。どちらにしろ面倒なことには変わりはない。
 少なくともは今まで紋章の術がぶつかり合って空間が裂けるなんていう事象は聞いたことも見たこともない。

「とんでもないことじゃないの?」
「うん。ここでそういう概念があるか分からないけどいわゆる世界から世界へ飛んできたってところ?」

 やはりとんでもなかった。困ったなと笑うは今この世界の非常識を口にしたのだ。彼女が思っている以上にそれは稀なことである。
 は今までの人生でかなり稀有な体験をしてきたと自覚がある。人生三回分ぐらいの大きなことを数年前、立て続けに体験した。だからこそこの突拍子もない話もいくらか信じられる気持ちだ。彼の仲間には突然目の前にテレポートで現れ、わたしを守ってくれるよねと有無を言わさず仲間になってきた強者もいた。
 星の役目というものは自身の役目を終えたあとも引き継がれるのか。そういう体質なのか。これ以上とない厄介ごとには既に諦めて受け入れる体制に入っていた。こういうときは逆らうことが一番の労力の無駄である。

「……一応、別の世界っていう概念はあるよ。ただ、そこは竜が住む世界であり人間がやってくるなんてことはなかったな」
「龍って、龍の世界!? 私そこから来たの! これってもしかして早々に帰れる? セインの奴に迎えに来てもらうなんてしなくても帰れるって? あ、それじゃああいつを高笑いで見下ろせるってところか」

 ぶつぶつと呪いのような言葉を唱えるはこれが素だろう。こういう空気はも嫌いではないが久々に賑やかでテンポが取り戻せない。
 それに、の認識する竜の世界は人間が存在するなどと聞いたことはない。竜たちはこの世界では本来なら生きていけない存在のためこの世界の根幹を成す力によって庇護を与えられ生きているのだ。

「……竜ってこういうの?」

 適当な木の枝を見繕いざっと地面に竜の姿を描く。竜たちは普段ならそうお目にかかれないのだがは数奇な運命の元、竜たちを操り戦う竜騎士たちと共に戦場で背中を預けた経験がある。絵はうまくはないが下手でもない。彼の思い描く竜の特徴は大体表せた。
 それを見て黙り込むのはだ。途中から妙なうめき声を上げそれから両手を顔に当てて誰かに向かって叫び始めた。おそらくは先ほど呪詛を送っていた相手だろう。

「私の知る龍は違う……それはいわゆるドラゴンだわ。私が思い描く龍はこういうの」

 の手から木の枝を受け取りがりがりと地面に龍を描く。に比べるとかなり乱暴な龍の出来上がりだ。知らない人が見たら鬣のついた蛇と思うかもしれない。も実際蛇かと勘違いしかけた。

の知る世界とは違う龍の世界。そっから来たの。あーもう、セインの力に頼るかと思うと……悔しいから帰らないでおこうか」
「うーん、帰る当てはあるってことだね」
「悔しい事ながらね」

 何年かかるかは不明だ。突発的であった上にかなり強引な方法だった。本来なら龍であっても細心の注意を払って行う魔法だろう。そんな高度で繊細な魔法を一人の人間と一匹の星龍が偶然にも引き起こした。行き先はもちろんランダムだ。時間を移動していることはないだろうが探し出すには龍といえども苦労することだろう。
 魔法も使えない。お金もない。伝手もない。何もない。それでもは全く悲観などしていない。むしろ楽しんでいる。
 旅は好きなのだ。性に合っている。知らぬ土地で馴染のない文化に出会い土地の人を知ることはの心を楽しみで満たしてくれる。これも、勝手は違えどその延長と捉えればいい。

「で、。こんなとんでもない話をしてもなお驚かずにいてくれるきみに頼みがある」
「そう来ると思ったよ。で、何かな?」
「迎えが来るまで一緒に旅人やらない?」

 は迎えが来るまでならね、とそこを強調して頷いた。


(異世界の住人)