うららかな午後、は山になってつぶれる兵士たちを腰に手を当てながら苦笑いで見ていた。
「ビクトール、こんなに潰して良かったの?」
「こんぐらいされなきゃこいつらもわかんねえだろ」
山積みになった男たちも、それを見守っていた兵たちも、息を乱してはいるがけが一つないの姿に唖然としていた。
はそんな周りの目など気にも留めずビクトールと笑顔で会話をかわしている。
女性にしては鍛えられた肉体だが体の線は細い。そうがっちりと筋肉がつく体質でもないようで、杖を持てば彼女が肉弾戦も行えるとは一見して想像できない。
もちろん、午後のはじめの練習でビクトールにを相手に一本取って見ろという言葉を兵たちは笑った。見るからに自分よりも小さい相手から一本取るなどたやすいことと思えたのだ。
「まあ最初の何人かは完全に侮られてたけど」
「お前が見た限り筋の良い奴はいたか?」
「何人か」
それが二十人近い相手をその体ひとつで鮮やかに沈めていった。一瞬で地に落ちる者、粘る者、自棄になってつっこんでいく者、様々だったが挑戦した者は全員地に顔をつけた。
ビクトールによる紹介は魔法兵団に新しく配属される部隊長だということだった。間違ってはいないが正しくもない。紋章だけを専門にしているとは言っていないしこの新しく配属された部隊は紋章兵と歩兵が組合わさっている混合部隊である。ある程度紋章の素養がある兵とそこそこに体力のある紋章兵が混ざった部隊である。そしてその部隊はいまだ編成中であり存在はしていない。
とという歩兵としても紋章兵としても無難に戦える二人を部隊長として試験的にその効果を見るという。そのためこの部隊は他の部隊とは違う少し変わった訓練が行われる予定だ。編成途中であるためどういった面子が集まるのかも規模も未定である。
その話をとするために待ち合わせ場所に向かう途中、はビクトールに呼ばれてなぜか彼の部隊の兵士と組み手をしていたのである。
「てめえら、あれだけ見かけで油断するなって言ってただろうが」
「隊長これはずるいですよ」
「文句は聞かないぞー。ま、わかってて大人しくしてた賢すぎるのもいるけどな」
言われたとおりにに向かってきた者もいたがまず戦況を見るということに徹した者もいる。その上で命令通りにに挑むかというと躊躇いが生まれここまで動けずにいたのだろう。
猪突猛進するのも、相手を侮るのも、相手との差を測りすぎて足を止めるのも、どれも選ばず、今の力で勝てない相手にどうやって負けないか、それを考えるのも訓練である。
「私、玄人じゃないんだけど、ビクトール」
「こいつらも剣士だが体術は門外漢だ。お前の方が専門だろうよ」
体格差と人数差があっても勝てたのは確かに相手取った面々が体術を専門とする面々ではなかったからだ。だからは最小限の力で相手を制することができた。これが本格的に体術を学んだ者が相手だとそうはいかない。この人数だとどこかでが足をついていただろう。
「その場の判断が物を言うんだ。今みたいにグズグズ悩んでつっ立ってる暇はねえぞ!」
ビクトールが大声を出せば威勢の良い返事が返ってくる。かなりの信頼度である。
士気も高く人間関係も良好。良い隊だな、と良いダシに使われたことは不問としは早々に立ち去ろうとする。
「! もう一回相手してやってくれ! な?」
「ビクトール、少しだけって約束なんだけど?」
「あー、あとちょっとだ!」
この調子じゃ離してもらえないぞ、とが顔をしかめていたところだった。
「!」
「あれ、チャコ」
訓練場にはあまり姿を見せないチャコがわざわざやってくるのも珍しい。はすぐさまチャコの方へと駆けだした。
チャコもの方へとやってくる。羽根を使えばあっと言う間である。
「どうしたの」
「シュウがのこと呼んでる。今すぐ来いってさ・も呼ばれて先行ってる」
これ幸い、とは興味本位で話を聞きにきたビクトールに笑いかけた。ビクトールもさすがに肩をすくめる。軍師に逆らうつもりはないらしい。
また機会があれば、とは足取り軽くチャコと共に訓練場から姿を消した。
「斥候隊」
「ああ。お前たちの隊はまだ編成途中で一番動きやすいだろう」
呼び出されたのはとの二人だ。二人揃った途端、シュウは挨拶も抜きに用件を話しだした。
話はこうだ。今日の昼前、コウユウという少年がこの新同盟軍にやってきた。が不在だということでシュウがひとまず話を聞けば彼らは山を根城にしているのだが妙な連中に襲われ助けを求めに来たという。
「殿に話を通すと言うから山賊の救出は保留だ。それよりも山の向こうのティントが気になる」
ティントというのは元々都市同盟に加盟していた都市のひとつだった。だが彼らは自国の土地が遠方地にあるということもありハイランドがミューズに侵入してからも静観を貫き、新同盟軍が発足してからもその姿勢は変わらないままだったのだがここのところ様子がおかしいという。
「最近ティントとの交易を始め連絡があまりうまくいっていない。以前から調べさせてはいたが道中山賊……このコウユウたちだ。これに邪魔されてティントの情勢について大した情報はない」
「そしてその山賊がなぜかこちらに助けを求めてきた。きなくさいですね」
「しかもそれ聞いたところゾンビなんでしょう? ビクトールが黙っちゃいないんじゃない?」
コウユウたちを襲ったのは青白い、倒しても起き上がる不気味な連中だったという。やシュウと一緒に話を聞いていたアップルの見立ては死者を蘇らせて使役しているのに間違いないということだった。三年前、解放戦争でもゾンビを操る吸血鬼、ネクロードが彼らの行く手を阻んだのだ。そしてこの戦争でもネクロードは姿を見せた。十中八九ネクロードの仕業だろう。
はその事件について詳しくは知らないが概要だけは耳にしていたので厄介だと顔を顰めた。もちろん二人も同様に。
「殿もネクロードには会っている。ビクトールも行きたがるだろう」
「足を突っ込むのは確実ならティントの方にも人を遣ろうと」
「その通りだ。殿が大人しく待ってくださるなど考えてないしこの状況ならティントも放っておけん」
フッと笑うシュウは面倒だというわけでもない、嫌がってもいない。ただ自分の支えるべき主の行動を理解し、そのために最善を尽くす気力に満ちている。そこにはに対する信頼が見て取れた。
ただその光景は瞬きを数回する間にもう消えていて、話の続きだと、そう口にした彼はいつもの通りだった。少々不遜な態度も見え隠れする、自信家の軍師。少年軍主に浴びせられるだろう非難や罵倒をその態度で勝手に引き受けているとは元軍主のの見立てだ。もちろん、同席していた二人はただほんの少しの笑みを浮かべて知らんぷりをしていた。
軍主がティントに向かうことが決定事項ならば彼にふりかかる危険を予想できる範囲内は全て排除すべきである。その手段が先行隊であり選ばれたのがとというわけだった。
ちなみに件のは今日は仲間を集めに他の街に行っており数日後に帰ってくる予定である。
「ネクロードがハイランドと噛んでいるかは不明だ。単体で動いているか、別の勢力についている可能性もある」
「厄介だな」
「だからお前たちを当てるんだ」
新同盟軍には人が足りないのだ。徴兵しているわけではない義勇軍はまとまりはあるが人が足りない。使えるものは藁でも使え。隣国の英雄でも使え。それぐらいシュウはやってのける。
その知名度ではなく強さと対応能力を求められているのでも素直に受けるらしい。たちには命令に対して疑問を返すことはできても基本的に軍師の方針は尊重する立場だ。今回の件も至って順当な起用だ。だってそれぐらいは考える。
「何かあった場合はすぐに知らせろ。以上だ。他に何か質問は」
指令に対する大きな問答はなく、いくつか細かい事項を確認し二人は準備に入った。
出立は夜明け前で、道案内にはフィッチャーがつく。後続するたちには救出の件を伝えにきたコウユウ少年が同行する予定だ。コウユウはに直接伝えないと礼儀に欠けると、彼の帰還を待っているのでこういう人選となった。
道案内を命じられたフィッチャーは実はこのシュウの執務室の脇にそっと立っていたのでもも何だろうと思っていたのだが当の本人はわかっていたらしく大きく肩を落としていた。人使い荒いですよ、とため息のような呟きをこぼしていたがシュウはそれを無視して話を打ち切った。
元々旅慣れている二人は今日中にでも出立できるのだが時刻が中途半端だった為翌早朝に旅立つことになり、そこで話はお開きとなった。
「きな臭くなってきたね」
「あんまり良い予感はしないな」
二人が新同盟軍に入って初めての命令であり仕事である。そしてこの仕事によってティントに対する行動が変わってくる可能性があり、二人の役割は大きい。
「早々にシュウ軍師もやってくれるね」
「お手並み拝見と言うところじゃないかな」
シュウの期待する働きができるのか。
彼自身と接する機会はそう多くなかった二人だが彼の人となりは多くの仲間たちから聞き及んでいた。
その彼が二人に求めてきたのだ。彼ができると踏んだのだからそれを裏切るのは己の矜持が許さない、とは言わないが出来ないと言うのが癪だった。
「信用してもらおうじゃないの」
「まずは第一歩、だね」
の出自も人柄も周りの仲間が保証している。はそうではないけれど多くの仲間から認められている。様々な経緯を考えても二人が間者であるとか、敵国の人間である可能性は限りなく低い。
けれどシュウはの目を信じた上で自分の軍略にどれだけ応えるのか、それを試しているのだろう。
「今日は大人しく、明日に備えるとしますか」
「だね」
お互いに顔を見合わせどちらともなくにやりと笑う。
そうたいした時間でもなかったがまた改めて、コウユウと一緒にとはいえ二人一緒に行動することになったからだろうか。どちらの瞳も妙に光を帯びていた。
「よろしく相方」
「こちらこそ」
が差し上げた拳にが応えるように挙げた拳がこつん、と重なった。
「あのー、わたしもいるんですけど」
そっとフィッチャーが口を挟めば二人は同じタイミングで吹き出した。
(どうかこの手をとって)