大きく舞った風を感じはそれにつられるように空を見上げた。そこでは白い雲がゆっくりと青の中を泳いでいる。
「、すごい紋章の気配が近くでした気がするの気のせいかな」
「奇遇だね。多分どこかの風の紋章術師がエリアボスでも倒したんじゃない?」
そのうちここまでやって来るよとは動く気はないらしい。昼食を採り終え一休みしているところだった。
は休みがてら近くに生えていた植物で作っていたものを崩れないよう荷物の中に仕舞うと立ち上がり、近くにつないでいた馬の方に向かい出す。
不遜だとも言えそうなその魔力を、彼女は知っている。彼が一人でここまでやって来ないだろうことも予想が付く。
「行くの?」
「助けてくれてお礼言いたいから。はゆっくりしてていいよ」
一緒に行くよというの言葉を待たずには一人馬に乗りあっという間に駆けだしてしまった。
「……お邪魔虫はのんびり行くか」
わざとらしく引き留めた彼女の意向に沿うように、は湖を見る。塔がある方向ではなく、ここからは見えない湖城の方角だった。
「お久しぶり!」
「さん!?」
草原から馬に乗った人影がやって来るのを見て最初は訝しんでいた一行だがその姿が見えるとは目を見開いた。
驚かせた本人は目覚めてしばらく経つがたちはあれ以来姿を見ていなかったのだ。元気に馬に乗っていれば前回との差に驚くのも無理はない。
「起きたんですね。良かった」
は駆け寄るなりの顔を確認してそれからほっとした表情を見せた。あれから心配をしていたらしい。はその素直さに笑みを零し馬から降りた。
に代筆を頼み文を出したはずだとに尋ねればそれでも実際に会うまでは心配だったと返された。よほど深刻な状態だったらしい。まさか昏睡状態の間元の世界の存在と会っていて十日も寝るとは思いもしなかったのだ。随分と大事になったとは後から聞いた話だ。としては半分他人事のようだったが、起き上がってから回復に時間を要したのは確かなので心配されるがままとした。
から聞いた話ではたちは瞬きの紋章を持つ少女の力を借りれば一瞬で遠方へと移動できるという。ただ今回はコウの様子も見たかったということで地道に日数をかけて来たらしい。コウ自身は元気で、たちのことを心配していたから今度顔を見せて欲しいと言われた。ももちろん頷く。
今回の面々はと前回も参加していたナナミとルック、それから男が二人。一目見ただけで物理攻撃の面子だとわかる。この中で紋章に長けているのはルックぐらいだろう。
「わざわざトランにまで何か用でもあったの?」
「さんの様子が気になっていたのと、それから、さんに力を貸してもらおうと思って来ました」
にと言ったはずのはを真っ直ぐ見つめた。
「さんが回復しているなら、あなたにも、ぜひ」
意志の光がきらきらと、瞳に宿っている。そのまま溢れて来てもおかしくないぐらいの光だ。前へ進む強い意志がある人特有のものだ。
はこういう瞳に弱い。力を貸してくれと頼まれると断りきれないことが多い。身軽な旅人生活をしていたはずなのになぜかこうした縁には恵まれているらしい。災難とも言える出来事も少なくはなかったが出会い自体は良いものが多かった。今回も同じようなものだと、今までの経験から理解した。
しかしは今一人ではない。約束をして、一緒に旅をする相手がいる。返事は簡単にできなかった。
「に意見を聞かないとね」
「なあ、あんた」
にはとりあえずそう言うことで回答を伸ばすことに成功しただが次の瞬間には新手の登場である。
の見知らぬ相手である男の一人だ。大柄でそこに立っているだけで存在感があるのに威圧感はない。ただその立ち方だけでも男が熟練の戦士であることは容易に知れた。
威圧感はなけれどあんたと呼ばれる筋合いはない。はわざとらしくにこり、微笑んでやる。
「って言うの」
「おっと、そりゃ失礼。俺はビクトールだ。ついでに、あっちの青いのはフリック」
「青いのっていうなよ」
と入れ替わるように歩み寄ってきたのはビクトールの言うとおり青い男だった。額に青布を巻きマントも青地を使っている。ビクトールと並ぶと細身の印象だが体格もしっかりとして鍛えられている。二人ともいかにも戦いなれているが正規の兵士という雰囲気でもない。元々は傭兵でもやっていたのだろう。
気の良い二人に見えるが油断はどこにもない。はこの二人の目に叶う軍主としての素質があったのだろう。にこにこ会話を見守る少年は好ましく前を向いている類なのは感じるが、軍主としての彼はまだわからない。見てはいないがきっと周りが支えたくなるようなそんな姿なのだろう。
おそらくは支えていこうと思った二人を見てはてらいなく笑って見せた。
「はじめまして。よろしくね、ビクトールにフリック」
「ああ。よろしくな」
「んで、。いきなりなんだがお前さんとはいつからの付き合いだ?」
の旧知の人物らしい。今回同行したのもきっとこの土地に縁があるからだろう。おそらくは彼が家出をする前、このトラン共和国、当時の赤月帝国の頃に。
はちらりとルックを視界に移したが彼はだんまりを決め込んでいる。どうやらルックは基本的に黙っているらしい。そもそも以前本拠地にお邪魔したこと自体誰にも喋ってないらしい。
仕方がない、とはビクトール以外も興味津々な様子を隠さない面子の為に口を開いた。
「原因不明でグリンヒルの近くに飛ばされたのか」
「そりゃ災難だな」
違う世界から来たことはもちろん内緒だが、早々にに出会い、この周辺のことを教えてもらいながら迎えが来るまで旅をしていたと言ってみれば語ることが多くはない旅の説明だった。
一番に食いつかれたのはもちろん見知らぬ場所に突然飛ばされるという事象だ。本来なら根掘り葉掘り聞かれるそれはも含めて妙に納得の早い。その度に出てくるビッキーという少女の名前。はビッキーという少女が気になりだしていたのだが会えばわかるが会わない方が幸せかもしれないというビクトールの言に大きな反対の声がなく、気まずそうな雰囲気が残った。機会があれば会うだろう、とは苦笑いでその話題を締めくくる。
成り行きで旅をし、途中怪我をしての実家で世話になっている。そこまで話を聞き終えたビクトールとフリックはが驚くほどに感心しきっていた。おそらくはが旅の期限を気にしていることが関係しているのかもしれない。
「なあ、国に帰るまではと一緒にいるんだよな?」
「そうだね」
「そうか。そうか!」
「いった! 初対面の女性の背中叩くとか何なの?!」
悪いと言いながら手を引くビクトールも申し訳なさそうにするフリックも嬉しそうにしている。にはその理由が皆目見当つかずなのだがまあ悪いことではないのだろう。クレオやパーンもに同じような表情を向けることが多々あるのでも慣れっこになっていた。
とナナミは興味があるのか話をじっと聞いている。ルックは一人離れた場所で読書だ。ただの見立てでは本を読んでいる振りをしながら話を聞いている。興味があるからというよりは面倒ごとを避けるためだろう。
「というか、なんでたちはを仲間にしたがるの?」
「なんでってお前そりゃあ……ん? 、お前ってこの大陸の出身じゃないんだよな」
「そうだけど」
「ここ数年のこの大陸の情勢なんて知らないんだよな?」
「そうだね」
なるほど、とビクトールは大きく何度か頷いた。彼なりに何かを納得したらしい。隣のフリックも後ろの動揺に腑に落ちた、という顔つきである。とナナミは首を傾げているが。
いったい何なんだとは視線でビクトールに問いかける。無言の説明要求である。
「は自分のことなんて名乗った?」
「家出人」
「納得したのか?」
「育ちの良い坊ちゃんが何かの事情で旅をしてるんだと思ったけど」
フリックの問いかけにそう答えると彼は嬉しそうに笑った。何が嬉しいのか、にはやはりわからない。ただ今度はフリックやビクトールだけが反応したのではない。やナナミが目を見開いてを見ていた。
まるで珍獣扱いにさすがのも居心地が悪い。
「何か悪いの?」
「さん、・マクドールって名前聞いてピンとこない?」
「何が? まさかマクドール家のお坊ちゃんってことを名前でピンとこなくちゃいけなかったの?」
の問いかけにもわけがわからない、と顔を顰めた瞬間大笑いが草原に響く。ビクトールにそれに呼応するようにフリックもげらげら笑い出す。ルックはため息、とナナミは相変わらず驚いたままである。
とりあえずにわかったことといえば自分が常識的だとされる何かを、それもに関わることを知らないということだけだ。
なんだかまともに相手にしているのも馬鹿らしくなりは腕を組み勝手に笑う失礼な男たちを睨んでやる。これっぽっちも効いていないが。
「だから、が最初から追い払わなかったわけだ」
「途中からも、な」
「わけがわからないんだけど」
「お前が何も知らない奴で、なおかつ何も聞かない良い奴だからは今まで一緒に旅をしてきたってことだ」
の知らないがそこにいる。が知り合う前のを彼らは知っている。そしてそのを知っているからこそ、彼らは過去のを知らないを嬉しそうに笑顔で見つめる。
知らないことの何が良いのかとは文句の一つでも口にしようとするが不意打ちの言葉に手を止めた。
「あいつ、解放軍の軍主だったんだよ」
「…………は?」
「解放軍。このトラン共和国を作るために戦ってた人間たちの代表。あんなのでもこのあたりじゃ英雄視されてるんだよ。トランの英雄、・マクドール。名前は大分売れたね」
会話の外にいたはずのルックだった。彼にしてはおしゃべりなぐらいべらべらと、それも人の過去を勝手に暴いていた。
唖然としたを見てルックは満足そうに笑い、そして斜め後ろを振り返った。
「あんたがいつまでも言わないから僕が言ってあげたよ」
「……余計な御世話だ」
ルックの寄りかかる木に手をかけ、・マクドールその人が立っていた。
いつの間にやって来たのか。注意散漫になっていたはいつもなら気づくはずの気配に気付けなかった。他の人間も話に夢中になっていた。ただひとり、ルックだけが気配を消して訪れた彼の気配に気づいた。むしろ進んで紋章まで使って気配を薄めていたのはルックだ。長話に飽きていたのか、小馬鹿にするように笑って満足気にしている。は苦虫を嚙み潰したような顔だ。
その空気をものともしないのはこの中では一人しかいない。
「! 久しぶりだな!」
「何が久しぶりだ熊。死んだかと思ったよ。フリックは、生きてて何よりだ」
「お前俺に対する態度ひでえよな!?」
笑顔でビクトールを無視しながらは彼の隣にいるに視線を向ける。自然と全員の注目を浴びた。耳に届くのは風の鳴る音だけである。
は唇を真一文字に結び、じっとを見ている。彼の言葉を待っている。
「驚いた?」
「気付けなかった自分の鈍感さに反省中」
「別にそれでいいんだけどな」
「意図的に情報も隠されたしね」
刺々しい言葉には苦笑いだ。の知識のほとんどはが教えたものでありトランの、特に解放戦争についてはがうまく情報を隠してその事実を伝えてきた。
はその戦争についてもある程度の情報は耳にしてきたというのにその軍主についてはただの一つも知らなかったのだ。そしてそれを疑問にも思わなかった。
はの後でお話があります、というわざとらしい言い方にわかったと素直に頷いた。ここまで来たのだ。これ以上隠すつもりもなかった。
はから視線を外し、ここにいるはずのない相手と向き合う。
新同盟軍軍主、はの視線を受け緊張しながらも背筋を正す。
「さん」
「何かな」
ぎゅっと拳を握り一度きゅっと唇をかみしめる。それから一呼吸すればはを前に怯むことなく対峙した。
はその視線を受け止めて次の言葉を待つ。
「あなたの力が必要です。僕たちの仲間になってください」
簡潔で直球だ。少年は彼の英雄に助けを請う。
は真っ直ぐな瞳を眩しそうに見たがそれは一瞬だ。測るようなまなざしで返す。それを受けてもは自分から視線を逸らすことはしない。
「軍に頭は二つもいらない」
「わかってます。戦で指揮を執れなんて言いません。僕たちの軍です」
何度も考えたのだろう。たった数年前に隣国で騒がれた解放軍の英雄。顔を知るものが多くはなくとも噂は広がるだろう。ビクトールたちのように素直に再会と助力に喜ぶものもいればの求心力を奪いかねない名前に眉を顰めるものもいる。
それでもはの目の前にいる。彼がいまできることを考え、足りないものを補うために仲間を集める。そうして、その選択肢にが出てきたのだろう。勝つために、守るために、目的のためならば英雄だろうが何だろうがだって引き入れてみせると覚悟しているのだ。
いつかの己もこんな様子だったのだろうか。忘れるわけはないのにはその頃の自分がと同じような目をしていたのかわからない。
「俺は戦が嫌いだよ」
「僕もそうです。戦をなくすために戦をするなんて馬鹿げてるとは思います。でも、僕に今できることは戦うことです。守るために戦います。そのために、僕に力を貸していただけませんか」
「解放軍軍主だった英雄に対して? それとも、・マクドールに対して?」
「それは」
が答えるよりも早くすぱーんと、小気味良い音が響いた。が後ろからの頭を叩いていた。
全員が唖然としている。も何が何だかわからないままを見ていた。
「?」
「、ちょっと捻くれた考えで視界不良にでもなった?」
わかりきったことを試すなど趣味が悪いよとは吐き捨てた。
バツが悪そうに視線を逸らす。呆然とする。そこで再び大笑いするのはビクトールだった。
「! お前やっぱり最高だ! 良い酒が飲めるに違いない! だからうちに来いよ!」
「誘う理由が違うだろう。……まあわからんでもないがな」
「私は別に良いけど、の答えによるな」
どんな回答でもはそれを受け止めるだろう。彼女は否といわない。文句も言わない。にはなぜだか確信めいた思いがあった。
彼女は旅人なのだ。うつろい彷徨う、いつかいなくなる稀人。だからこの巡り合わせを全て旅の巡りあわせだと言わんばかりに受け入れる。
が見るその瞳には羨望が見え隠れする。には己の旅を受け入れる度量はまだない。迷って悩んで躊躇ってばかりだ。それが、彼女との旅ではほんの少し気が楽になる。稀人を、は受け入れ、そして別れのある日々に安堵している。
しかしこのままではいられないのだろう。秘密はに開かれた。このまま一緒にいれば抱える秘密をさらに打ち明ける日が来るだろう。それでも、は彼女との旅を楽しいと、続けたいと思ってしまった。
「行くよ。前に進むって決めたばかりなんだ」
口にすると肩の力が抜ける。
安堵の表情を見せるを見て、は過去の自分を思い出していた。
たくさんの人に声をかけ、力を必要としていると説き続けてきた。仲間になってくれ、力を貸してくれ。協力し合おう。
言い続けた言葉。それを今、は言われていた。英雄だからでもなんでもない。に憧れと尊敬はあれど他の仲間たちにも同じように声を掛けられた。
あの時手を取ってくれた仲間のことをは覚えている。当然のように傍にいてくれた人、迷いながら悩みながら手を取ってくれた人、同じ目的だからと力を貸してくれた人。一人、また一人、手を握り返してくれた瞬間、はあの日嬉しかった。彼らの気持ちに、期待に沿えるようでありたいと思った。想いを返したいと願った。
きっと、今度はの番なのだろう。求められ願われる少年に、はいつの日かを思い出して笑っていた。
「一緒に頑張ろう。よろしく、軍主殿」
「というわけで、私もよろしくね」
返ってきたのは眩しい太陽のような笑顔だった。
山を抜けてきた一行は徒歩だったため、後から追いかけると言われ二人はグレッグミンスターへと先行した。先に戻ってクレオたちに来客を知らせる必要がある。ただ駆け抜ける程急ぎでもないので会話ができる程度の速度で馬を走らせる。
少しの間だけだったが賑やかな空間から二人だけの状態に戻るとは肩の力が抜けていることに気が付く。思っていたより緊張していたらしい。思わぬ情報も耳にしたこともあるのだろう。
の秘密を知り、思考が落ち着いたところでは起きてすぐのことを思い出した。
「、レパントさんがにお願いしたかったことって大統領の座?」
「……それ、いつ誰に聞いたの?」
「リュウカン先生に診察してもらった時。何かよくわからなかったけど話聞いてわかった」
起きてから一度、は城にリュウカン医師の診察を受けに登城したことがあった。は城に行くと面倒が多いからとその場はクレオに任せて家で待機していたのだ。
彼女はそのときにリュウカン医師から多少話を聞いたという。に口止めされていたから、それとわからぬようにリュウカンも話したらしい。
「帰って来てくれて嬉しいって話を聞いていて、大統領と知り合いなんてすごいなって話から、なんとなくそれを聞いたんだよね」
「何て?」
「レパントさんはにあげたいものがあるけど受け取ってもらえないだろうって。リュウカン先生はレパントさんに似合ってるから今のままでいいと思うって言ってたよ」
「そうだね。俺はそういうのはいらないんだ」
国の圧政に耐えかねた人々が立ち上がり、かつての賢王を斃した英雄を人々は戴きたいと思うだろう。当然のことだ。
けれど英雄はその功績を讃えられるよりも前にその姿を消した。が見たは英雄として姿を現す気はない。そう呼ばれたくないと言わんばかりだった。
そっか、と頷いてその話は終えた。その後は今日は難しくてもビクトールとフリックの生還を祝うことにしようと話をしたり努めて明るい帰り道にした。
借りていた馬を返し、歩いて屋敷に戻る。屋敷の門をくぐったところでがふと立ち止まったのでも足を止めた。何やら鞄を突然開いて中を見ている。
「どうしたの」
返事の代わりにぽすっと、軽い音とともに彼の頭に何かが降ってきた。
「え、なに?」
「昼間に作ってたの忘れてたんだ。にはこれが似合うよ」
さあ帰ろう、とは先に屋敷の中に入ってしまう。
は驚きながらも頭に手を伸ばせばはらりとかけらが手の内に落ちてきた。それで頭上の物が何かを察しは思わず笑っていた。
「俺も、これがいいな」
シロツメクサの冠が、の頭上でそっと咲いていた。
(草のにおいと冠)