近頃のマクドール邸はここ数年で一番騒がしい日々が続いていた。
「パーンさん、それ私の卵!」
「、弱肉強食だ!」
「クレオ、紅茶のおかわりもらえるかな?」
「はい。どうぞ」
が目を覚まして十日は経っただろうか。毎食四人での食事とは思えないほど騒がしい席が続いている。主に原因は食事の取り合いをする二人のせいだが誰も文句を言わないので騒がしいままが続いている。
目覚めて動けるようになったがまずしたことは伏せている間にお世話になった人たちへの挨拶だ。マクドール家を始め城の人間からリュウカン医師まで、関わったであろう人間のほとんどに感謝の意思を述べ彼女は本格的な体力回復へと動き出した。
一週間以上寝続けた上にろくに食事もとっていなかった体は当然衰えている。うまく動かない体には苛立ちながらも地道な修練を続けている。元々体力があり鍛えていたこともありある程度は回復していた。
回復食にと用意していた卵を手にするパーンの頭をクレオが小突き、の元に戻す。
「賑やかですね」
「だろう?」
クレオはと話してみてますますを気に入った。最初は主人を変えてくれた人物として、今はという個人として彼女のことが好きになった。
パーンが言うには紋章使いであることがもったいないぐらい、彼女は格闘の才能があるということだった。そこらの兵士よりよほど見込みがあると格闘馬鹿のパーンに言わせるほどだ。の細い体のどこにそんな力があるのかと思いながらもクレオはそれを認めていた。
「、今日は遠乗りだ!」
「遠乗りだって?」
なにがどうしてそういうことになったのか。は楽しそうに自分の提案した事に満足している。パーンもなぜだか同意しているらしい。うんうんと隣で頷いている。
二人が騒ぐことに慣れ始めていた二人は当然二人の話など聞いていなかったのでこの話の流れがいまいち理解できていなかった。
「何がどうしてそうなったの」
「私がトランを見てみたいって話したら気晴らしついでに遠乗りをしたらいいんじゃないかってことになったの」
「俺とクレオは仕事がありますから、二人で湖岸の方まで行ってきたらいいんじゃないかと思いまして」
遠足気分の二人は今から弁当をこしらねば、とそそくさと立ち上がって台所に向かってしまう。弁当といっても料理はあまり得意ではない二人のはずだ。気持ちだけが先走っているのは見て取れた。子どものようなはしゃぎぶりには思わず笑っていた。
「俺は馬の調達をして来いってことかな」
「……突拍子がないですね。手伝ってきます」
クレオは手早く食器を片づけ荷物の準備を始める。も同じように食器を片づけ、どこに馬を借りに行こうかと思案を始めた。
他の家庭よりほんの少し早いマクドール家の朝はこうしてあっという間に慌ただしさを伴っていく。
一駆けし、湖も視界に見えた頃、ゆっくりと速度を落として話をしながら二人は目的地の湖岸を目指していた。
旅慣れしている二人である。乗馬の経験もあるとわかっていたが各々が驚いていた。
「は乗馬もかなりの腕前って、何ならできないの?」
「何でもできるわけじゃないよ。馬には乗り慣れてただけ」
が借りてきた馬は城にいる馬だ。街で借りようとしたところ、馬を借りる体で軍の一部でいいから顔を見せてやって欲しいとクレオに頼まれたのだ。その結果ちょっとした遠乗りとしてはもったいないぐらいの良い馬を借りられた。賢く、すぐに人の意思を上手く汲み取ってくれる気象の穏やか馬だ。戦には不向きかもしれないが要人を乗せるのに向いている。
予想外の馬に軽く駆けるつもりだった二人は気づけばかなりの速度で草原を走り抜けた。馬も優秀だったがお互いが思っていた以上に馬に乗り慣れていたのだ。
「私は孤児院に馬がいたから。あと旅の途中でも結構乗る機会もあったし」
「俺は元々軍人になる気だったから。これぐらい乗れて当然」
はの横顔を見詰めた。
彼の発言は有り得た可能性の否定であり彼の現在までの道のりにひと波乱があったことを含んでいた。
ももお互いのことについて詳しくは知らない。がグレッグミンスターを訪れた知ったことといえばトラン共和国はの故国でありマクドール家は彼の実家であるということ。彼の父は帝国の将軍であり名家の家の子であったこと。家族はもう、クレオとパーンしかいないこと。
知っているようで、はの過去を知らない。は過去を見せようとはしない。
反対に、に関してが知っていることも少ない。
彼女が別の世界の魔法使いであること。凄腕の格闘家であること。ずっと旅をし続けていたこと。孤児院の先生に基本的な礼儀作法を教えられていたこと。それから龍が大好きだということ。
「まあ、いいか」
「何が?」
「乗馬が上手いに越したことはないってこと」
なるほど、とは頷いて再び馬と共に駆ける。風を楽しめるぐらいの速さだ。
グレッグミンスターからほぼ西の方に向かった二人は湖岸にたどり着くと馬から降り馬の手入れをしてからようやく一息ついた。
トラン共和国は国の中に大きな湖がある。たちがたどり着いた岸もその一端だ。
少し遅めの昼食を取りながらは岸から見える景色についてに尋ね続けた。
あの山は何と言う名前か、あの奥はどこに繋がっているのか。湖の名前にグレッグミンスターまでの道のり、近くにある街の名前など、彼女の口からあがる疑問は絶えなかった。はそれらの質問全てにそつなく答えは内心舌を巻いたのだった。
「ねえ、あの塔はなに?」
一瞬、が固まった。よどみなく答え続けた中でただ一瞬、その塔を見ると答えに窮した。
それを見て質問を取り消そうとしたの声を抑えるように彼はあれはね、と言の葉を紡ぐ。
「あれはね、魔術師の塔。この国の星見があの塔にはいるんだ」
「星見」
「そう。この国は一年の国の運命を星見に見てもらう。……俺もあそこに星見の結果を貰いに行ったことがあるよ」
「……どんな、結果だったの?」
「下っ端にはそんなことわからないよ。……ただ、今なら少し想像がつくな。ま、星見をした当人はどこかに消えたけど」
消えた、という言葉にが首を傾げると夜逃げしたんだとくすくすと笑いだした。
星見をしていた女性は干渉を嫌って国外逃亡を企んだのだろうと推測を口にした。なぜ、と聞けば彼女が帝国最後の星見の役についていたからだろうと返事があった。
「俺が帝国で最後に星見を受け取った人間だと思うよ」
「解放戦争」
「そう。よくできました」
彼は、戦争を体験している人間なのだ。口には出さないが渦中に巻き込まれたのだろう。彼の父親が将軍職にいたのだ。彼の立場は戦争から逃れることを許さない。彼の意思もそれを許さなかったに違いない。
隣のはきっと前を見て歩いていたのだろう。目をそらすことをよしとせず、彼は己の道を歩いたのだ。知らない過去を、は頭に思い浮かべていた。
けれど、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして心が痛んだ。だからいつものように調子よく声をかける。
「そういえば、家出少年だったっけ」
「戻ってきちゃったけどね」
この国はが家出をするほど憂うことなどなさそうに見えた。未だに垣間見える戦争の傷跡こそあるものの民は日々を懸命に生きている。今から、彼らは希望へ向かって生きていくのだ。その軌道に乗り始めた国は彼を拒むことなどなさそうだった。
家出だと言ったその言葉に嘘はなかった。真実もなかった。曖昧に隠された事実の中から取捨選択された事実だけを繋げた。それがの家出という言葉に繋がっている。
しかし今、家出は一度おしまいを迎えた。
「またここで暮らす?」
の言葉の意図をは読めない。旅に解消をほのめかしているのだろうか。故郷に帰った彼に旅を続ける必要はないと思ったのだろうか。確かににとってあの街は、あの家は、居心地が良い。
湖を見つめていた視線をへと向けた。を捉える瞳に囚われる。
「俺は、家出人のままだよ」
「……とりあえず、放浪中ぐらいにしておくべきだと思うよ」
今度は黙って家を飛び出すなと、そう言いたいのだろう。確かに以前のは誰にも何も言わず出て行った。いつ帰るのかも言わなかった。帰るつもりもなかった。
それが何の因果か再び彼は故郷の土を踏み仲間と、家族と呼べる人たちと再び言葉を交わしている。今度こそ、と思ってもまたいつか、この土地に戻る日が来るのではないかと、に甘い希望を抱かせるのは目の前の相手だった。
「ねえ、俺はまたここに戻ってきて良いのかな」
の抱えるものは暗い。暗く、暗澹としている。時々暗く光る瞳の奥底に隠しているものはは想像もしないだろう。周りを危険に巻き込むと分かっていてこの土地に足を踏み入れることをはずっと、ずっと迷っていた。
が答えを持っているわけではない。問いかけに対しては思うままに答える。
「がそれを望むなら」
少なくともがクレオやパーンの立場ならば彼が望む時に帰ってきたら良いと思うだろう。彼がいつ帰って来ても温かく出迎えたいと、素直にそう思った。ただ思ったことを口にしただけだった。
「ありがとう、」
微かに微笑むその姿が、おそらくは彼を待つ人々が望む姿なのだ。
はその微笑みに目を奪われながら漠然とそう感じていた。
(へたくそ)