はふらふらと夜空を歩いていた。空を飛ぶ羽根を持たない人間ならば本来為し得ないことだ。だからこそはこれが夢だとわかっていた。目の前に現れた世にも稀なる美麗の人もまた、夢の中での再会だと知っていた。こんな夢を見るのは二度目だった。ただ、声だけだった人はおらず、今度は姿をはっきりと見せた。
 褐色の肌、磨かれた宝石のような深い紫の瞳、炎を宿したかのような朱金の髪。以前見たときから随分と時が経った感覚をは持っていたけれど小馬鹿にするような笑みは忘れない。

「馬鹿セイン」
「開口一番にそれ? せっかくの再会をぶち壊すね」

 いつの日かのあの水龍の人と同じだった。やわらかい綿菓子のように甘い夢の中。束の間の、心だけの再会。ここは龍の住む世界でものいま過ごしている世界でもない。
 喧嘩腰の会話ばかりしていた。出会ってそう長い時を過ごしたわけではない。ただ会う度にお互い言いたい放題言い合っては引き分け明日に持ち越し、と同時に背中を向けていた。

「もう、会えないのかと思った」

 頼りない言葉が落ちるのはこれが夢だからだとは言い聞かせる。本当はこれが現実のような夢でありお互いの記憶に残る夢であるとは知っているけれどそれでも言葉はこぼれおちた。小さな雨粒だったそれは一粒落ちるとその箍を外す。

「会ったら絶対ぶん殴ってやると思ってたし慰謝料ふんだくってやろうかとも思ったし人生計画台無しにしてくれただとかいろいろ考えたけど何より悔しいのはあんたが私の夢だったことを伝えもせずにこっちで死んじゃうかもしれないってことだったのよ本当にあんた早く私を見つけに来て迎えに来てみなさいよ面と向かって言うことがあるのよ」

 龍と友になりたいなど、の世界では有り得ないことだ。畏敬の存在である龍。親愛を結ばれるのは守龍を持つ国の王家の人間だけ。それも個人ではなく王家という大きな括りだ。
 龍と友愛を交わした人間は遠い昔には確かにいた。が必死になって調べた書物では確かに遠い、遙か昔は龍はもっと身近だった。龍はもっと人の世に隠れてではあるが紛れ込んでいた。遠い、遠い昔の話だ。
 なぜ龍が人とより距離を置こうとしたのかはにはわからない。それでもの目の前で奇跡が起きているのだ。得られないと思いながら夢を見続けた。その夢が現実の形となってあるのだ。の思い込みかもしれないけれど、それでも確かにセインはの触れられる距離にいた。

「夢まで、こぎ着けた。後、そうだな……一年以内には道を繋げる」
「……一年」
「そう。それにしてもせっかくの魔法がひどい有様」

 空の上にいるというのにセインは迷うことなく大股で空を渡りの傍までたどり着くなり手の甲の紋様を見た。すらりとした手がの手を取り見た目には変化のない紋様を撫でた。セインの顔は歪んでいる。
 咄嗟にかけた魔法とはいえここまで踏み込まれるほど甘い魔法でもないのだ。星竜とはいえ人の為す力とは比べ物にはならない力を持っている。その力を以て描いた魔法は最も命の危険のあるものを防ぐ魔法だった。そしてセインがという存在を見失わない目印でもあった。
 これに傷をつける力は人の持つものではない。人が持つには大きすぎる力になる。

「君は厄介事を自ら背負い込む体質なわけ?」
「はい? 何でいきなりそんなに呆れられなきゃいけないの」
「当たり前だろ。どれだけ危険なものとかかわったらこの魔法がこんな無惨な有様になるんだ」

 応急手当のような印でありその隙を突かれたような形である。隙を大きく突かれていたならば危なかったのかもしれない。もっともそれを為すのはよほどの力でない限りは無理である。だがよほどの力がいつの身に降りかかるかなどセインには全くわからない。そして関与出来ない。
 お互い過失はあるもののセインは一人で責を負うつもりだった。彼女は生まれ育った世界を放り出されて天涯孤独を強いられているのだ。彼女を連れ戻すことはセインの義務だった。

「とりあえず出来るかわからないけど魔法かけるから」
「今ここで? 夢の中で?」
「そうだよ。僕がやらなきゃ意味がないことだし夢とはいえ半分は干渉してるんだ。多少はましになると思う。……キミさ、この諸悪の根源が何だかわからないけどわかった時点で速攻で離れた方が良いよ」

 物理的に接触しているわけではない。そもそも今二人がいる場所がおかしい。実はいうと会話の間に空中からいきなり森の中に移ったり砂漠のど真ん中に立っていたりと世界が目まぐるしく変わっていた。の見覚えのある故国の城下町であったり見知らぬ古城の中であったりセインと出会ったミズベ国の湖の滸であったり二人の記憶の世界をあちこち彷徨っていた。水龍との夢ではずっと空の上だったから、干渉してくる存在によって夢の世界は景色が違うのだろう。
 セインは謡うように何か、にはわからない言葉を唱える。紋様が光り輝き熱を持ったかと思えば全身が日向ぼっこをしているかのように心地よいあたたかさに包まれた。

「これで大丈夫だろ」
「セイン、諸悪の根源って何」
「キミを蝕む害悪。それも人の力じゃ普通は不可避のもの。僕が魔法をかけとかなきゃ今頃お陀仏だよ」

 淡々と述べられた事実はの耳に真っ直ぐ届く。いつ自分にそんな害悪が襲いかかったのかもにはわからない。気づく前にセインの加護が守ってくれたのだろうか。おそらくはそうなのだろう。いつも、彼の力に守られていたのだ。
 呆然とするにセインはただし、と補足する。

「僕が守ったのはキミが自力でどうしようもない力からであって普通のことまでは面倒みてないんだよ。そもそも不可抗力でいきなり世界を渡って世界からの圧力に押しつぶされて死にました、じゃ僕の寝覚めが悪い。悪すぎる」
「馬鹿セイン、態度わかりにくいぞ」

 彼なりの心配であることは明らかだったが知らない人が聞いたら薄情な台詞だ。ただにとってはこれ以上とないほど優しい言葉だった。思えばいつも他愛ない喧嘩ばかりでこんなにじっくりと話したことはなかった。
 捻くれた星竜は優しかった。には十分すぎるほど。

「死ぬなよ、馬鹿
「あんたに会うまで死なないに決まってるでしょう馬鹿セイン」

 二人は再び空の上にいた。相見えたときは深い闇の覆う空だったけれど今の空は今か今かと輝く太陽を待ちわびている。別れの時は近い。夜明けが別れの合図だった。
 一年と、セインはそう口にしたけれど一年後無事に会えるかどうかはわからない。もしかしたらが死んでしまうかもしれないしセインの方がうまくいかないかもしれない。奇跡のようなこの逢瀬はきっとそう何回も起きるわけではないのだろう。また、と口にしないセインの態度がそれを証明しているようだった。

「魔法使い

 いつもの小馬鹿にした笑みではなかった。鼻で笑ってもいない。花がふわりと開花した瞬間のようだった。胸が騒いだ。どうしようもない幸福感がを包み込んできた。

「キミの幸運を祈る」

 言葉とともに額に落ちてきた祝福の証を理解した瞬間は叫んでいた。

「セイン、ありがとう!」

 やっと言えた言葉を届けた瞬間に夜明けを迎え朝日の中全てが眩しさの中に紛れて行った。


(うるさい小鳥)