子どもの盾になりながら紋章を放ち、コウから遠ざけるためになりふり構わず巨体を蹴飛ばす。その勇ましさに背後に隠れていたコウ少年は畏怖と同時に尊敬の念を抱いた。後に彼にとっての英雄が一人追加されることになるとは必死なは知る由もない。
そもそも彼女の体力も無尽蔵ではない。紋章を放ってはいるものの彼女が宿しているのは火と水の属性だけだ。こんな場所で考えもなしに火の紋章など使えない。使ったとたん山火事である。水の紋章で最小限の敵の動きを止める程度の技しか使えなかった。
「早く来い馬鹿ども!」
馬鹿どもとはを始め一行も含まれる。舌打ちする様は悪人のようであるがそれを見たのは敵対する魔物一匹である。男らしい姿にコウは騙されてその声にさらに尊敬の念を抱いていた。
紋章は詠唱が要る分連発はできない。は近接戦闘を得意としているし、武器も持たない。今のように背中に人を庇いながら戦うのは最悪の組み合わせだ。本来は主に攻撃を加える人間と組んだ方が能力を発揮できる。
元々一人旅のときは自分を守れば良かったしと旅をしているときはお互いに援護が出来た。誰かを一人で守りながら戦うということは仕事でもしたことがなかった。
攻撃を躱そうとしてもこの状態では少しずつ負傷は増えていく。攻撃を受けた時に右腕に大きな傷が出来、片腕での戦いになるのも目に見えていた。
まさか木々をなぎ倒すような大物と対峙するとはは夢にも思わなかった。異世界では何が起こっても不思議はない。
「毒か」
最悪だとが舌打ちしながら見たのは先ほど怪我をした右腕だ。止血ができないので血が多くはないがずっと流れているし、指先の感覚がなくなっていく。何かしらの毒、またはそれに類似したものを魔物が有していたとしか考えられなかった。
は満身創痍だ。もはや紋章を紡ぐだけの集中力もない。目の前の敵に対して距離を取ることもそろそろ難しくなってきた。このままではコウともどもこの魔物の餌食である。
けれどその瞬間、一帯を支配する気配を感じたは安堵よりも先に舌打ちした。
「裁き」
「遅い馬鹿!」
一瞬にして魔物を葬ったというのに術直後の声は怒声ときた。それも危機を回避した人間に対してだ。その場にいたほぼ全員がぎょっと目を丸くした。
ただ怒鳴られた本人は詠唱直後には怒鳴りながら倒れ込むを抱きかかえていたしルックはすぐさま外傷をいやしの風で治した。それでもは苦しそうに顔を歪めたままだ。
出番のないたちもその場で出来る限りの応急処置は手伝ったのだが毒が原因と分かると手の施しようがなかった。一般に売られている毒消しは一番最初に試したし万能薬も使ったが効果が得られない。特殊な毒というのは明らかだった。
その場でどうしたものかと沈黙が満ちる。位置はトラン寄りでありバナーに戻っても医師や薬があるわけではない。トランに行くしかないが医師も薬も宛てはない。賭けになる、とほとんどの人間が予測したのだがそれを打ち破ったのは大きなため息だった。のものだった。
「トランに行こう。ここからならあっちで治療を受ける方が早い。それにリュウカン先生が城にいれば文句なしだ」
「それが最善策だろうね」
テキパキと事を進めていくとルックに周りはただ呆然とするだけだ。ただ一人を除いては、だが。
彼は二人の即決即行動の様子を見てにやにや笑った。
「ひっさびさに見たな、お前のそういう顔」
「シーナ、無駄口叩く前にその肩書き使ってグレッグミンスターに最短距離で行くよ」
「りょーかい」
あっという間にやるべきことを見つけ行動を始めるには言葉がなかった。自分がやれば四苦八苦するだろうことを彼はその何分の一かの力でやってみせた。よりも何歩も先を歩く背中を見せつけられた気がした。
トランの英雄。
そう呼ばれるだけの人だった。この人ならば、と自然と頼りたくなる人だった。大丈夫だと、安心できる人だった。
「くん、一緒に付き合ってくれるかな」
「もちろんです。元々は僕らのせいですから」
コウに番犬のように立ちふさがるの注意を反らすことをさせたのはたちだ。コウ自身も乗り気だったとはいえ結果として彼の命を危険にさらしてしまったのだ。このまま最後まで付き合うつもりだった。
コウは意識もはっきりしているし多少の傷はあれど大きなけがもない。魔物との戦闘を間近で見ていたからか動転はしているが直に落ち着く範囲だ。ただ念のためにグレッグミンスターに着いたらと同じように毒など何か目に見えない負傷がないかを確かめてもらうことにした。
「少し……いや、強行軍で行くけど頑張ろう」
「はい」
凛とした表情でたちを見つめるは率いる者として振舞っていた。そして他の全員がそれに確かに頷いたのだ。
実際のところ強行軍と一単語で片付けられないほど滅茶苦茶で地獄のような道のりだったのだが人命と、そしての当たり前のような態度に誰も逆らえなかった。
「そんなに死んで欲しくないんだ」
もう彼らはトラン共和国の領土には入っていたもののグレッグミンスターまではあと一日、というところだった。
火の番をしていると少し距離を開けて同じように火を見つめるのはもちろんルックだ。前触れもなく降ってきた言葉はを鼻で笑っているようにも聞こえたしぎゃくにただ単純な疑問にも聞こえた。
はすっと視線をへと向ける。意識を失ったままの彼女の容態は芳しくない。途中の町で最低限の処置はしたが正体不明の毒はお手上げだと言われている。もう少しの辛抱だった。リュウカンがいなくともグレッグミンスターには腕の良い医者も薬もあるはずだった。
はどの伝手を使ってでも彼女に最良の治療を、と決意していた。
「死んで欲しくないね」
「……へえ。随分とマシになったね」
ルックの知るならばこうなる前に適当な笑顔を作り潮時だと身を引いているはずだ。
けれど目の前の男は死んで欲しくないとはっきりと言いその言葉には自分が救ってみせる意思すら垣間見られた。少なくとも彼はが快復してからも彼女の隣を離れる気はないようだった。の背景を考えれば進歩である。
「……はそのうちいなくなる」
「それまでなら大丈夫だって?」
「には、加護があるからね。……それに、意地でも俺が止める」
この世界以外の力による加護はを優しい力で守っている。それはルックだって知っていた。そしてそれがこの世界のものでないことも、この世界の、特に害あるものを阻んでいることも。人の身ではどうしようもないものを、阻んでいた。
ただそれが永続的に続くかは誰にもわからない。まだ大丈夫だとに告げたのはシエラだった。その彼女もまだ、と言っただけでそれがいつまで続くかの明言は避けた。
もう、大切な人を傍に置きたくはなかった。作りたくはなかった。は己に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「はこのぐらいじゃ死んだりしない」
「あの図太さならこれぐらいはなんともないだろうしね。それに、あんたの呪いなんてこんなもんじゃないだろ。今回は目が覚めたところでお説教喰らっとけばいいんじゃない?」
「お説教ぐらい、いくらでも聞くよ」
まだその時ではないのだ。紋章はまだ牙を向けてはいない。もしくは向けることが出来ない。
薪がパチリと音を立てて熱に焦がされる音がした。
(裁きの君)