それはある日突然やってきた。

「あの、ここにさんはいますか?」
「いるけど……きみは?」
といいます」

 その日もは池で釣り。はその手前の道で岩にもたれかかって紋章の応用技について頭の中で考えたり、地面に書付をしたり、時折試してみたりと好きにしていた。釣りの邪魔をしないようにと配慮していただけだが今では池にいるに取次をする見張り役になっていた。
 そこにやってきたのは旅人の一行だった。彼らはの元に近づくなりの名を口にした。そして声をかけてきた少年はと、新同盟軍軍主の名を名乗ったのだ。
 は思わず立ち上がりまじまじと少年を見詰めた。そして彼の後ろに立つ他の仲間にも気づいてぎょっとした。

様、つまり軍主さん」
「え、はい」

 大方コウあたりからのことを聞いたのだろう。そして軍主と間違われている人物が気になって来てみたというところか。
 は後ろに仏頂面で立っているルックがなぜ今回は知らせてくれなかったのかと思ったが後の祭りである。
 が再び口を開く前にひょいと前に出たのはより少し年かさの少年だ。見た目だけでいえばとそう変わらない歳である。

「きみ可愛いね! もしかして向こうにいる奴と知り合い?」
「まあ、旅の連れかな。あなたたちは私たちに何か用?」

 先日コウとの英雄の話があった後、は人と必要最低限にしか顔を合わせないようにしている。にはここで誰も近づけないように見張りを頼んでまで、彼はひとりになりたがったのだ。は自分とだけでも会話をすることを条件に見張りを引き受けた。
 村の人は宿代を払い、時折村の近くに出る魔物を倒す二人には友好的だ。基本的にたちを好きにさせてくれていたのでも見張りといいつつ適当にその場で時間をつぶしているだけだったのだが今日は違った。見張りとしての役目が果たせそうだ。

「コウという少年がさんという方を僕と勘違いしてるみたいだったんで……少し会ってみたかったんです」
「信じ込んでたからこっちも無理に誤解は解けなくて。ごめんなさいね。奥にいる連れは調子が悪くって。一人にさせてあげたいんだ」

 申し訳なさそうに言われてはたちも強気に出るわけにはいかない。また機会を伺いますと彼らは大人しく引き返して行った。一人を除いて。
 一人残ったルックは面倒くさそうにを見た。はにこりと笑いかけるが眉ひとつ動かさない様は相変わらずである。

「久しぶりだね、ルック」
「会いたくなかったよ。まだいると思わなかった」
がここを気に入ったらしくて。……たぶん、そろそろ離れるだろうけど」

 もっと早く発ってれば良かったのだとルックは呆れ顔だ。彼は無表情か嘲笑か呆れ顔か、それぐらいしか表情の変化を見せない。
 奥にいるも気配は感じているだろうに出てこようとはしなかった。

「僕は何もしないよ。助けてやらないから自力でどうにかするんだね」
「それは、に言ってあげて。私はただの連れだよ」

 その言葉にルックは鼻で笑いそのままたちの元に戻って行った。
 気配が完全に消えた後、奥からが出てきた。

「……迷惑掛けてごめん」
「別にこれぐらい迷惑のうちに入らないよ。それより元気になってくれる方が嬉しいけどね」

 そう言うとは苦笑いだった。





 たちが訪れたのは午前中のことだったのだが午後も平穏とは程遠い時間だった。突然、森の方から叫び声がしたのだ。それもの知る声。助けてと、微かに風に乗って聞こえてきた少年の声には飛び出して行った。
 その直後、彼女がふさいでいた道を人が通って行ったことには慌てていて気付かなかった。

「コウくん!?」

 勢いのまま飛び出しただがコウを必死に探した。
 声が聞こえた方向へ向かって駆けていく。途中で見つけた魔物は全て紋章で吹き飛ばした。普段の森とは違う場所を必死に探して回る。

「コウくん!」

 の足はそう遅くはない。むしろ速い方だろう。荷物も持たない今彼女はかなりの速さで走りぬけた後だった。そうして追いついてみれば物騒な光景が待ち受けていた。
 がたがたと震えているコウ。そのコウを担いでいる男、それから仲間が数人。

「お、おねえちゃ」
「何だぁ? 姉ちゃん一人で追いかけてきたのか」

 舌打ちをしては今の立ち位置と相手の立ち位置を確認するが何の意味もない。相手には人質を取られているのだ。は結局は相手の言い分を呑むしかない。
 睨みつけてもたいした効果はない。ここで紋章を使ってもコウを巻き込むことにしかならない。

「その子を離して」
「そりゃ出来ねえ相談だ」

 は心の中で舌打ちをするものの表情には出さない。願うのは先ほど魔物を吹っ飛ばした時の派手な紋章の気配を誰かが察知してくれることだ。誰か、といってもルックかだろうが。
 相手は既に剣を手にしているためが行動を起こしてもコウを無傷で助けられる可能性は低い。は見た目はか弱そうな少女にしか見えない。男たちが退く理由など何一つないわけだった。

「それでも離してもらうって……何の音?」
「な、なんだ!?」

 お互いのことを気にする前にもっとまずい気配だ。ずるずると地面を這う音がした。無気味な音の持ち主は木々をなぎ倒しているらしく振動も音も次第に大きくなってきた。
 その異様な気配に、その場にいる全員が動けずただそれが姿を現すのを見るだけだった。

「なんだこりゃ!?」
「ひぃ!」

 人の何倍もの大きさを持った幼虫だった。ずるずると這いながらも幼虫は確実にたちを目指してきていた。肉食らしい。ギラギラと獲物を狙う目が光った。
 よりも山賊たちの方が魔物との距離が近かったので迫力に負けたのか、彼らはの方へと後退してきた。腰が引けている者までいてが内心呆れかえっていたことには誰も気づかない。

「こんなの見たことねえぞ」
「やべぇ、逃げるぞ!」

 そう言って彼らは腕に抱えていたコウを投げ出して一目散に逃げ始めたのだった。魔物の方に放り出さないだけましだった。
 コウは震える足での元まで逃げてきた。まともに走ることは不可能だろう。の元に来るまでが精いっぱいだった。歩けるだけでも十分である。はすぐにコウを背中に庇う。

「何の冗談?」

 目の前に立ちふさがる巨大な魔物。背中で震える子ども。
 舌打ちしながらは詠唱を始めた。


(泥棒さがし)