「よし、ラダトに行こう! と言ったけどちょっとまずい感じかな」
「ちょっとって言うか、随分とまずい」
クスクスの長期滞在で釣りを十分に堪能した二人は山奥にでも行ってみようと小さな村を目指すことにした。
以前ティントに行こうとしたときは頑なに嫌がっていただったが今回はあっさり頷いた。どうも山道が嫌と言っていたのだが先のティントが嫌だったらしい。鉱山の街は当分近づきたくないのだと吐き捨てた。
出会った頃は不躾に鉱山都市を避ける理由を聞かれることを懸念して山道が嫌だと言ったらしい。山賊が多いからだとか獣道が多いからだとか言い訳はいくらでもあるから良かったという。
そんな話をしながらラダトを目指していた二人を待っていたのは兵士だった。あちこち歩いて回るのは白い鎧ばかり。言うまでもない。ハイランドの兵士。つまりこの都市同盟領内から見れば敵兵である。
入口の見張りの兵士は二人に近づくと見た通りの事実を教えてくれた。
「現在ラダトはハイランドの支配下にある」
「そうだったんですか」
「まあ悪いこと言わないからさっさと立ち去ることだ。あんたらも無駄に恐ろしい目に遭いたくないだろう」
「はい。早めに出ることにします」
入り口に立っていた兵士は好意的な人物で出歩くと目をつけられるぞと忠告までしてくれた。
忠告に従い二人は大人しく宿を決め、今は宿屋の窓から街を眺めている。は椅子に座って棍を磨いている。は武器が己の身と紋章なので特に手入れの必要はないのだ。
「これは、明日には出た方が良いね」
「そうだね、明日少しだけ買い物の振りをして様子を窺ってみるよ。問題なさそうなら明日出発しよう」
「くん、様子とは?」
早めに出た方がトラブルがない。様子を見るだけなら今日買い物の振りをしてもう一度出ていけばいいのではないか。
としては戦争に巻き込まれさえしなければどうでもいい。戦いなど旅の途中の魔物退治で十分だと感じていた。
意見を求められたは手入れの手を止めてを見た。
「このラダトは遠征地で兵はそんなに割けない。ここは軍備が整った街じゃない。漁師と商人が集まった街だ。出発したら最低限の兵士は置くだろうけど密偵じゃないかって突っかかってこられたりする確率は減ると思う。もしも出発が明日にでも、って様子なら明日は宿に籠っていた方が巻き込まれなくて済む。侵攻先も確認できるし」
「なるほど。……経験則?」
は笑うだけで答えはなかった。
今日はもう出歩かないほうが良いと言われただったがと一緒に買いづらいものもいくつかある。必要な品ではあるので申し訳なさもありつつそっと宿を抜け出した。
乱暴な兵士がいたら、と懸念していたが、ラダトに駐留しているハイランド兵は非常に紳士的な振る舞いをしている。指揮官の教育が行き届いているらしく乱暴をされたという話は店の人間からは聞かない。怯えつつだが必要なものを買う街の人の姿もある。
は女一人で歩くことが危険なことも理解していたが少しだけ、と道具屋で女性を見つけて入り用の物を買い宿に戻るつもりだった。
気を付けていたはずだがすれ違った兵士に気を取られたため、角を曲がった瞬間に人とぶつかりかけた。
「すみません!」
「いえ、大丈夫ですか?」
拍子に落とした紙袋を拾い上げてくれた青年は怒った様子も見せずにを見た。
ラダトの街の住民だろうか。穏やかな顔立ちをしている。立ち居振る舞いはどことなく気品を感じさせるもので、そこがに違和感を伝えてくる。ラダトの住民にしては、品が良すぎる。
すぐに立ち去ろうとしたがそれを目の前の青年は許さなかった。
「旅の方ですか」
「ええ。今日ちょうど立ち寄ったところです」
「それは、不運でしたね。こんな戦の前に。申し訳ありません」
青年は本当に残念そうに街を見た。本来なら活気のある街並みが随分と寂しい。出歩く人もそう多くはない。必要最低限の機能しか働いていないのだ。
兵士たちが抑圧しているわけではない。自然と家から出ない人間が増えてこうなっているのだ。誰も好き好んで敵国の兵士たちが闊歩する外へ出たくはない。
「あなたは、ラダトの方ではないのですか?」
「いえ、ハイランドの者です。不自由な思いをさせて申し訳ありませんがこれも任務なのでお許しください」
「軍人さんですか」
見た目は品の良い青年だ。武器を振り回すタイプには見えない。実際武器を振るっているような体つきではない。戦いにおよそ似合わない見た目だ。紋章兵か、後方支援の者か。
品の良い、鎧を着ていない青年が前線部隊とは到底思えない。紋章兵にしてはの感覚に入ってこない。紋章兵ならなんとなくだが分かるものだ。勘というものだが馬鹿にはならない。彼からは実戦の気配が薄いのだ。
鎧の兵士に絡まれることもまずかったがどうにもこの青年と長く話すのもまずいだろう。恐らくは陣営内でも位の高い人間だ。
の予想外という声色が伝わったらしい。青年は意外ですよねと笑った。慣れているようでの非礼にも全く動じない。その泰然とした様子がにますます疑問を抱かせる。
もしかしたら随分と大変な存在に会ったのかも知れない。そう思った矢先のことだ。
「これでも軍師です。戦う才は持ち合わせていませんので」
「軍師殿、納得です」
「なぜ?」
「お若いけれど落ち着いていらっしゃいますから。……あの、私は不審者扱いですか?」
が青年を窺っていたように青年もまたを窺っていた。近くには側近が控えている。青年に何かあると困るのだ。が不審な動きを見せた瞬間に拘束の手がかかるだろう。
青年は微笑んで賢い人は生き残れますと言った。要はとりあえず捕まえられたりはしないということだ。
「賢い旅人殿にハイランドの軍師から質問があるんですが」
「なんでしょう」
「この戦、旅人の貴女の目にはどう見えますか」
質問に目を丸くした。そんなことを問うて良いのかと青年を見たら世間話ですよと軽く笑われた。とんだ世間話である。は己の不運を内心で呪った。
軍人は戦に疑問を持ってはならない。戦うことが使命だ。主の命を聞きそれに応える。意志を挟んではならない。軍は個を抹殺しなければならない。統一意志が必要なのだ。
青年がこれを聞くということは青年個人はこの戦に僅かでも疑問を抱いているということだ。自分の正義を探してはならない。それでも個人として誰かの意見を聞きたいのだろう。迷いは名も知らぬ旅人への疑問として形となった。
どうしたものかと一瞬迷ったが、はその疑問に言葉を選びながら答える。
「この戦の始まりは耳にしていますけど、どちらの軍にも大義名分があるものです。私は、勝者こそが歴史の正義となると思っています」
「勝者こそが、正義」
「はい。上の意向は別物ですが戦場に立つ多くの人間の思いはどちらも同じです。守るために身を投じています。己自身、家族や友人、はたまた恋人を守るため。もしくは誇りや国そのもの、信念のような思いかもしれません。ただ、結局はみな何かを守る為に戦っているのではないでしょうか」
が今話している青年も何かを守る為に軍師となり今ここで策を講じている。ときどき戦好きが傭兵をやっているが彼らも己の矜持を守るときがある。好きで戦に身を投じる者はだからこそ、己を律しそれを守ることも多々ある。
戦争は身を投じ血を流す人間だけの戦いではない。国中の人間全てが守っているのだ。
残った者が家を守る。店を守る。仕事を守る。街を守る。誰も彼もが何かを守っている。
はこの戦とは関係のない人間だ。どちらの味方でもないが、これだけは心から思う。
「どちらが勝つにせよ、死者が少なくあれば良いと思います」
「それは、私の役目ですね」
「頑張ってください、軍師殿」
「ありがとうございます」
ここでは宿へ足を進め青年はとは正反対の方向へと足を進めた。
「私はとりあえず、今の気楽な旅を守りますか、と」
気づかれていないといいが思ったよりも時間がかかってしまった。おそらくは不用意に外出したことをに怒られるだろう。
は今自分が守りたいものが何か口にしてしまった。一人の軍師がそれを意図せず浮き彫りに刺せた。ただに伝える気は毛頭ない。それは彼の重石になりかねないことをは知っている。
その後、気配を絶って宿に戻ったものの、は入り口でに笑顔で出迎えられた。
(かけがえのない人(たち))