ルックとの魔法実験が思いの外早く結果が出たため、はの要望通り新同盟軍の本拠地を後にすることとした。運が良いのか、何か工作でもしたのか、ルック以外の昔馴染みがたちの前に現れることはなかった。
街道に出るとは家出発覚の危険が減った為か表情が明るかった。気を張っていたらしい。としては何とも言えない彼の事情なのでそっと見て見ぬ振りをする。
「次はどこに行く? この辺も聞けば戦場だって話だから旅人としては頂けないんだよねえ」
「まあわかってて来てるから。とりあえず近いのはクスクスだし、行ってついでに釣りでもしよう」
「釣りがしたいだけじゃないの?」
妙に釣りのところに気持ちがこもっていたことには気付いた。彼にしては珍しい。大抵の判断に任せるのに今回は自分の意見を通した。
疑問に対して素直に笑顔で頷いただった。本当に釣りのためだけにクスクスに行きたいらしい。
それも良いだろう。どうせ二人とも行くべき場所も為すべき事柄も持たないのだから。
こうして今日も二人の当てのない旅は続いていく。
「ふう、ついた」
「釣り場としては静かで良いけど……これも戦争の影響かな」
クスクスに着いたのは夕刻。太陽は既に地平線の彼方へ消えていく、そんな時間だった。それでも二人には疲れは見えない。楽しげに入り口から街を見ていた。
旅にも戦闘にも慣れている。そんな二人がペースも乱さず魔物を倒していけば目的地には何回かの野宿をすればあっさり着いた。
クスクスは湖岸の町で本来なら対岸との行き来があるのだが現在は戦時下にあるためそれぞれの港は機能停止状態である。対岸との行き来が主な町で、見るべき場所も特にないのだが釣りをしたいというの希望をかなえる為にこうして足を運んだ。にとってはどこに行くにしても初めての場所であり初めての出会いばかりなので何処に行こうと文句はない。
「さて、一番安い宿探そうか」
「うーん、でも途中で随分と稼いだからちょっと贅沢しても良いんじゃない?」
さくさく魔物を倒してきた二人だがクスクスに至る道中やたらと強い魔物に出遭った。二人で相手をするには骨の折れる相手だったけれどが棍で制しが紋章を使い連携すれば大抵の魔物は倒せる。今回も危うい目にはあったが最上位の紋章術で一気に片をつけた。
の情報に依ればエリアボスというものであり地区ごとに一種族、飛びぬけて強い魔物がいる。その魔物は滅多に現れないので普段は心配いらないが出遭ったときは逃げた方が懸命だと言われている。戦い慣れた人間ならば苦戦しても倒せるがひよっこパーティには辛い。商人たちの馬車なんかが出くわせば最悪である。
倒したエリアボスの残していったアイテムやお金などで懐は随分とあたたかい。のいた世界では魔物といってもそんなにお得なものはいなかった。巣穴に自分の宝物を貯めている魔物はいたがここまで都合の良いものは残っていない。
魔物を倒せば塵芥となる様も随分と不思議だったが魔物もまた一説ではこの世界のものではないといわれているからか塵芥となっても誰も驚かない。理論どうこうの前にそれが当たり前なのだ。
「じゃあ、たまには普通の宿で」
「料理が美味しいことを願う」
そう言いながら二人は町の人から聞いた評判と勘で今夜の宿を決めていった。
宿に着く頃には既に日も落ち家路に帰る者や飲みに出る者が見られた。その中で二人は部屋を取り身体を軽くしてから食事を摂った。
接客、値段、街の中での位置を考えれば良心的な宿だ。料理も美味しく思わずお互いの料理の食べ合いをするほどだ。高級宿よりも堅苦しさがない分賑わいの絶えないこちらの方が過ごしやすい。
食事の際、二人は料理を運んできてくれた店員に上手に街の話を聞いていく。人の噂というものは馬鹿にならない。元の情報に尾ひれがつき誇大な表現になる場合も多々あるが何かしらの根があるものだ。街の人間、旅人のどちらともと話す機会のある宿の人間などは案外いろいろな情報を持っているので泊まるときのおしゃべりは欠かせない。
「港を渡ることは禁止されてますけど漁ぐらいは許されてるんですよ。もちろん、認められた漁師以外はダメですけどね」
「そうなんだ。一度湖を渡ってみたかったんだけどな」
「それはまた、戦後落ち着いたらぜひ! そのときもうちの宿に泊まりに来てください」
話の最後にちゃっかり店の宣伝をして店員の女性が去っていくのをが見届けた。笑顔も口調もサバサバしていて好感の持てるタイプだった。の笑顔にも営業スマイル。すぐに見惚れたりしないところは上の教育がしっかりしているからだと思われた。
ただの旅人に見えるだが泊まった宿ではちょくちょく熱い視線を受けている。女というものは大変強かなものでが一緒に泊まっているということは関係ないらしい。
総じて旅人とは非日常で、愛想が良く友好的ならそれだけで十分注目する価値はあるのだろう。
「のその話術はすばらしいものがあるね」
「どうもありがとう。これはまあいろいろあって鍛えられたんだ」
「旅人暦が長いとか?」
「まあ、そんなとこ」
実際そんなところというものではない。確かにあちこちを歩き回り人に話を聞いてきた。しかしそれは気楽な旅人の様相ではなくいつも何かを求めていた。必要な情報を。有益な存在を。
今は穏やか過ぎるぐらい穏やかだった。の経験してきた数年の怒涛の日々に比べれば戦禍を被る可能性があるこの旅すら可愛いものだ。
「」
「何?」
「食後の散歩に付き合ってくれますか」
美人のお誘いだなんて軽口を言いながらは快諾した。
月が綺麗に出ている夜だった。酒場の賑やかな声が通りにまで響き家々の明かりが灯っている。それぞれの当たり前の日常。当たり前の夜が過ぎていく。
は適当に歩く。宿屋は通りに面したところにあるので迷っても通りまで出たら帰り着ける。そこまで遠くに行くつもりもなかった。
湖岸の町であるクスクスは水路が町の中を這うように存在する。一応水路での観光コースもあるという。日常の配達も陸路と水路の両方が使われているのが特色だった。
「私ね、最近思うんだ」
小さな橋の上、欄干に寄りかかりは星空を見上げた。数え切れないほどの星が煌めき世界を照らしている。喧騒から少し遠ざかった橋は星空の作り出す幻想的な空気と遠くから聞こえる街の雑多な空気の中間地のようだった。
はの隣で同じように欄干に寄りかかり水面を見ている。光が水面に映し出され揺らめいている。船でも通れば煌めきは消え波紋ばかりが広がるだろう。
「私でも、ここで何かをできるんじゃないかって」
「何かを?」
「そう。向こうで何かしていたわけじゃないんだけど、ささやかな夢は叶ったしね。こっちで戻るまで何かできることをするのも良いかと思って。……私がここに来たのにも何かできることがあって、そういう縁があるってね」
突発的な事故でありくぐれるはずのない空間を飛び越えてきたのだ。ここでだからできることがあるとは強引な考えだ。
待てばいい。いつか必ず偉大なる龍たちは誓いを果たしてくれるだろう。
そのいつかがわからないまま、漠然と生きることはには不向きなだけだ。旅に意味を求めたことなどなかったが、果ての見えないいつかを待つ支えを求めるかのように、は何かを求めていた。
はそれを聞き、言葉に迷うように沈黙の後、静かに口にする。
「俺は、縁なんて探さなくたってが好きに生きるのが一番だと思うよ」
は右手に視線を送る。目を細めて遠くを見ていた。の届かない世界だ。
彼にとって昔の縁はその言葉で片付けられないほどのものだったのだろうか。にはわからないが彼のいう縁という言葉には苦しそうな重みがあった。
はそれに気付いてはいたけれど振り払うように明るい声を出す。視線は真っ直ぐ前に向ける。
「ま、今は一人身寂しいくんについていてあげよう!」
「魅力的な女性が隣にいて嬉しいなあ」
「心がこもってないけど?」
「気のせい気のせい」
こうやってお互いの傷を垣間見ては見て見ぬ振りをする。なかったことにする。確実に心には残っていくことを分かっている。分かっていても、お互いに知らぬ振りを通した。
月は、そんな二人を何食わぬ顔で照らし続けた。
(私がここへ来た意味)