ルックと出会って早三日。当分ここに滞在しようと言い張るは顔を引きつらせた。予想以上にここには知り合いが多かったからだった。

「知り合いの一人や二人。ルック、って一体どうやって家出したの?」
「へえ……知らないんだ」
「どこか良いとこの出自で修羅場は随分と経験していて戦争を知っている陰のある家出少年」
「それだけ分かれば十分だ。そこの戦争功労者は見つかったら怒られる上に祖国に連れ戻されるのが嫌で逃げてる臆病者だ」

 今日も外套を被ったはうるさいよと否定せず軽く笑うだけだ。それこそが肯定の証であり彼の突いて欲しくない部分なのだろう。
 最初こそ魔法をぶつけ合うということを仕出かした二人だったが魔法理論の話になればお互いに悔しいと思いつつも相手を認めた。出来るのだ。これまで出会ってきた誰よりも。話をすれば自分の望むレベルで会話が出来る。実践だって出来る。悔しいながらお互いに同じレベルの人間に出会ったのはこのときが初めてだった。

 が異世界からやって来たのだと言ってもルックはそうだろうねと言って終わらせた。風に強い支配権を持つ彼にしてみれば異質の風を持つは大変目立つらしい。
 の次に出来た友人と呼べる相手には自分の本職を思いだし旅の途中ではありながら一時滞在を望んだ。何より同じレベルの人間がいる。腕がある。魔法の研究をする上でこれ以上とない環境だった。そして何なら実技をどうにかして教えてもらおうという魂胆だ。

「まあ、見つかったら愛の逃避行でもしよう」
「愛の逃避行、ねえ」
「あれ、ルックったら俺にやきもち?」
「……それで、やるんだろ」
「無視された」

 本日三人は石版から離れすぐ近くの木陰にいる。は木の上で幹に寄りかかり器用にくつろいでいる。とルックはその下で昨日話していたことをが理論上可能なのか実験をする為に紋章球を用意している。
 実験するのは主になのだが珍しい実験だからとルックが珍しくその手伝いを了承した。紋章球を宿さずに魔法を発動させるという荒業は確かに紋章に通じる者としては見過ごせない興味深い実験ではある。ここに紋章研究家でもいたら小うるさく検証を始めるところだろう。
 異世界の魔法を、ここで具現化させようというのだから。

「とりあえず土で結界でも作ろうかな。うまくいけばこっちにはない私の魔法を存分に……とは言わないけど七割ぐらいの力で使えるでしょ」
「ふうん」
「じゃ、やろうか」

 このためにわざわざ土の紋章球を買い求めたのだがは高額の紋章球に文句一つ言わない。他のものに関しては切羽つまるまで節約するが魔法は値切ったりしない。そのことについてふれると本職の魔法使いが値切ってどうするのだと苦笑いされたことはの記憶に新しい。
 本当に魔法が好きで魔法使いをやっているのだ。旅人より研究者になれば良いのにとが言えば缶詰タイプじゃないから旅人ぐらいがちょうど良いという。机上より実践派。実戦の魔法が実際に使える魔法なら儲けものという少々危ないやり方ではあるが。

 土の紋章球を右手に置きは魔力を解放する。そして土の紋章球を通して土の属性の魔力を集めそれを自身の魔力で支配していく。
 の魔法は元々こちらの世界とは違う構成であり力の源がない。それならば操りたい属性を紋章球のようなもので集め、の世界での魔力と呼ばれるものを用いて向こう側の理論を押し通せば魔法が発動するのではないかという随分とごり押しの理論が昨日完成した。
 発案はもちろんルックとだ。も一枚噛んでいる。理論的に事を進めようとしていた二人にたいしてごり押しで行けば案外うまくいくかもしれないという提案をしたのがだ。まさか採用されるとは本人も予想外だったが。

「へえ。確かに異質だね」
「……いつもとはまた違う力、か」

 それぞれ好き勝手言っているけれど二人とも紋章を操る人間としては一流の腕を持っている。は棍を武器としてはいるがそこら辺の紋章兵よりよほど魔力は高い。扱いだって熟練している。だからこれがどれだけのことなのかもわかる。
 こんなこと普通できるわけがない。ルックは出来ないこともないだろうがここまで熱心にする前に環境に合わせた技を会得するだろう。紋章という媒体に愛着があるわけではない。むしろこの二人に関しては嫌悪の念が大きい。

「円・結土」

 耳慣れない言葉の直後、を中心に三人の周りに結界が張られた。土を属性にした守りの壁である。ルックもも感じたことのない魔力の波動を放っているが確かに発動している。
 その結界は数秒もするとひび割れるようにして解けてしまい、その瞬間は地面に尻もちをついた。立っていられなかったのだ。

「つ、疲れる!」
「本当にやれるとは思わなかった」
「これがの魔法なんだ?」
「……そう。私の、魔法」

 笑顔を見せて愛しげにする姿は思わず視線を集める。美しいだとか可愛いだとかそういうものではない。ただ単純に彼女が自分の世界の魔法を心から愛していることがひしひしと伝わるのだ。そういう眼差しだった。

「……属性を結晶化したアクセサリでもつけてたら媒体になるんじゃない」
「かな。ここに売ってる?」
「さあね。そこの家出人に聞けば? 僕は忙しいから行くよ。……まあ、無意味な時間ではなかったよ」
「ありがとう、ルック」

 緑の法衣がひらりとはためく。彼は返事もせず別れの挨拶もせずただその背中を見せていつもの日常にもどっていく。珍しく、彼にしては一等の褒め言葉をに残して。
 珍しいとがその背中を目で追いも嬉しそうに見送った。結界はすぐに解けてしまったが発動したこと自体大きな成果だ。は満足だった。
 疲労の色は濃かったけれどに悲壮は見えない。

「満足した?」
「うん。満足。実戦には耐えられなさそうだけど、使えるだけ十分」
「そう。淋しいのも吹っ飛んだみたいで何よりだ」
「……気付いた?」

 さあ、というはぐらかす言葉と軽い笑い声。はいつもの思いを目の前で見たかのようにタイミングよく言葉をくれる。欲しいと思う言葉も、胸に刺さる刃も、彼は図ったかのように与えてくれる。
 今もそうだ。龍との夢を見て感傷的になっていた。そこで始めた魔法の実験は二度と戻れないかもしれない不安を吹き飛ばしたくて、世界は隔たっていてもかすかにでも繋がっているのを証明したくて始めた。まるで世界でひとりぼっちのような感覚が、こわかったのだ。
 そこにが優しく声をかけてくれた。
 もしかしたらもまたに対して丁度よく言葉を与えているのかもしれない。欲しいと思われた言葉も、彼の胸に刺さる刃も。それは彼にしか分からない。
 この世界での一番の幸運はなのかもしれない。

、いつまで私と旅をしてくれる?」
「愛の逃避行でもする気になった?」
「……私の魂があの世界に帰るその瞬間まで、ね」

 は答えずは自嘲する。そうすればの横で風が起こり気付けば隣にが立っている。

「あまり近づきすぎると魂、取られちゃうよ」
「取られる? ……取られてやる気なんて毛頭ないよ。私の魂は自由で、龍と共にある」

 はっきりとした言葉には微かに微笑んだ。


(ホームシック)