星が煌めき空が謳い、龍の舞う夜。
は夢を見る。幸せな歌に身を委ね夜の月明かりに導かれ空を泳ぐ。
「……夢?」
「その通り。きみは夢を見ている」
それは美しい声だった。音と言っても良い。その主が声を震わせるそれだけで甘い歌になる。声をかけられるだけではとろけそうになる。
普段なら空に浮かび上がり姿なき声が現れたら驚き慌てるだろう。けれど今この瞬間、の中にはそんな気持ちはかけらもなかった。
この声の主が誰かをは知っている。人とは天と地ほどの差がある圧倒的な存在。の世界に存在する偉大なる存在。焦がれて止まない存在。
「龍のお方が夢に出てくるなんて幸せな夢です」
「夢といえば夢なんだが、きみは夢の内容をはっきりと覚えたまま目を覚ます。わたしも同じだ。きみの夢への訪問をはっきり自覚している」
つまり声だけの存在はの夢の中にやってきていることになる。
は驚いてその姿を捜した。空の中を歩いていること自体不思議な感覚だったが会いたいと思っている龍の姿はない。煌めく姿は見えない。
そもそもここは龍のいる世界ではない。見知らぬ世界。の知らない力が世界を支える場所だ。それなのに今、龍を感じている。目にこそ見えないが声が聞こえその力を肌に感じた。包み込むようにあたたかい力だ。
「あの、どうして私の夢に出てきたのですか」
「きみに迷惑をかけた星竜にお願いされてね。自分じゃ手に負えないから手伝ってくれと言われたんだ」
「セイン」
「そう。きみの魔法と彼の魔法が絡み合い空間の亀裂を生み、きみは本来繋がるはずのなかった世界に落ちている。我々龍が繋げる世界とは全く別の世界だ」
龍すら開いたことのない空間を開き未開拓地を開拓しているということだ。思っていた以上に事は大きいのかもしれない。
彼の人の言葉を聞き、は自分の落ちた世界が常識の通じないどころか人もいない未開の地でないことに胸を撫で下ろした。龍の言葉だとどこに落ちるのかはわからなかったという口ぶりだ。は運が良かったのだろう。
説明するために謳うような声が響くたび、は涙が出そうなぐらいの感動に打ち震える。相手が龍だと分かっているからこそ、この感動はひとしおである。をと認識して龍が話してくれている。これ以上の幸せはない。
帰れないかもしれない、と不安がなかったわけではない。しかしは出会って間もないけれど星竜の彼を信じていた。いつか必ず。人の命で足りるのかだけが心配だったけれど。
「今道を繋げようとして、ようやく彼の魔法を手掛かりにこうして夢で繋がることができた」
「じゃあ、帰れるんですか?」
「時間はかかるけれど、いずれは帰れるだろう」
時間、といっても単位は様々だ。龍の翳りのある言葉にも黙ってしまう。
が元々考えていたのは一年から二年ほどだ。空間を裂く奇天烈な魔法ではあったが人間よりも桁が数え切れないほど違う龍ならばなんとかなると予想した。
しかし龍の言葉にはそんな時間とはいえない、もっと長さを感じさせるものがある。煌めく星が光をに届けるぐらい、途方もない時間なのだろうか。は魔法使いである分平均より長命の可能性が高い。それでも龍が言葉を濁すというのなら、見知らぬ世界へと渡ることは容易ではないのだろう。
「どれぐらいでしょうか? 私は老婆になってしまいますか? それとも、」
「分からない。この力が届いたのも幸運だ。繋がりやすくなる瞬間を狙うしかない。彼が繋いだ道だ。彼が繋がなければならない。それが明日か、一年後か、十年後かは、誰にもわからないのだ」
元々長期戦を覚悟していたにとってはそう驚くことではなかったが帰れると絶対の自信に小さくヒビが入った。
いつかわからないということはが生きている間には繋がらないかもしれないのだ。この世界で死ぬこともありえる。そういうことだ。
美しい夜空に抱かれながらもは奈落の底に落とされたような感覚に落ちた。
「帰れないかも、しれないのですね」
「今際の際に迎えに行くかもしれない」
「……この世界で生きる覚悟を、した方が良いですね」
龍は答えなかった。沈黙は肯定だったのだろうか。答えられない質問だったのか。龍は尊い存在ながら生きている。絶大な力を持ちながら生きている。過ちも犯す、笑い、泣き、怒り、悲しみ、喜ぶ、人と変わらない部分を持つ。生きている。
絶対の裁量権など彼らにすらないのだ。正しいなどと諭すように言えはしない。それをは知った。知ってもなお、龍を愛しいと思う。友でありたいと思う。
「人の子よ、わたしは守龍だ。今回のことは力足らぬ星竜の責任を果たす力添えをしている。我が王子にも頼まれたことでもある」
「セインを、責めないでください。私がここで一生を終えても、責めはしないでください。私にも責はありますから」
「誰も予想し得ぬ事故だよ、人の子よ」
助けの手を差し伸べてくれる龍に見えるかは分からない。はそっと微笑んだ。優しい龍。力なく世界に放り出されたを憐れむ龍。人の子だと、平等に愛をくれる。
龍は人という種族に惜しみなく愛を注ぐ。等しいだけの愛。見守り、そっと気付かれぬ力添えをする。いるという事実だけで希望を与える。
「龍のお方、セインに伝えてください」
「何と?」
「私は、あなたを大切な友人だと思っていると、そう伝えてください」
「それだけで良いのかい?」
は肯定する。満足そうに。
の夢は龍と親愛を結ぶことだ。簡単に言えば龍の友になりたかった。ただそれだけを願って旅をしてきたのだ。故郷を飛び出し一人旅をし血を見ても死を見ても立ち止まらなかったのは願ってきたからだった。自分の名を呼んでくれる友を求めていた。
「セインが私を友だと思ってくれるなら、私はこの世界で生きていく希望があります。私の夢はセインが叶えてくれた」
「……彼を友と言う人の子がいて、わたしの守護する姫も喜んでくれるだろう。彼女は彼の平穏を願っているから」
が一体どれだけ渇望してきたかを龍は知らない。もセインがどれだけ死に生きていきたのかを知らない。
それでも、はセインを友人だと言う。セインが友人である限り世界を隔てても生きていけるのだという。
夜が明ける。魔法のかかった夢はお仕舞いに近づいている。夢は解け、は龍のいない世界で目を覚ますのだ。そしていつ来るとも知れぬ手を待ち続ける。
「ミズベの守龍さま、会いに来て下さりありがとうございました。出会えた幸運に感謝します」
「わたしも、楽しい出会いだったよ。君の言葉は必ず伝えよう。……きみの生きる道に祝福を!」
日が昇るその瞬間、キラキラ輝く銀と澄んだ青が視界に広がった。
美しく、水龍は朝日の中に消えていった。
(夢想現実世界)