これは紋章により作られた世界からは遠く、百万世界と言われる世界の中の一つでのある日の出来事だ。
「あのさあ、きみってイイ歳した魔法使いだろ? もう少し大人らしく振舞えば?」
「そっちこそ、私より何歳年上だと思ってるのかなあ?」
ここはミズベ国内の王都某所の美しい庭先での出来事である。世にも類稀なる美青年と少女が視線を交わし火花を散らせている。日常茶飯事だ。
彼らは現在王家の敷地内という普通ならばありえない場所でいつものように口喧嘩をしている。場所が場所なのだが二人は一向に気にすることもない。青年の方が王家と親しい間柄で、彼が事前に申し出ているからだが少女の方は知る由もない。
土地の所有者である王家の人間も基本的におおらかなのでよほどのことがない限り咎めたりはしない。青年の方に友人が出来たようだと喜んでいるぐらいだ。本人はそれを一切認めていないけれど王家内では少々口の悪い彼が人と交流を持っていることに非常に前向きだった。
「僕ときみの年齢は種族として換算すると全く違うんだ。まあ、精神年齢は僕のほうが上だけどね」
「その小憎たらしい口を黙らせてやろう!」
「へえ? 一介の魔法使いが僕に勝つ気? 面白いね」
「おだまりセイン! 今日こそその高い鼻をへし折ってやろう」
「その間抜け面もっと間抜けにしてあげるよ」
少女はこの国の魔法使い志願者だ。国外出身で孤児院育ちということで王城で働けるような身元の保証も何もない彼女だが腕だけは確かだとその身一つで王城に就職活動にやって来た。その度胸の良さは唖然とするほどである。
もちろん門番に追い払われて現在無職なのだがその騒動の際に城からやって来たのがセインだった。きみみたいなうるさいのはこれ以上城には必要ないんだと一刀両断したセインに対してカッとなって一発風の魔法を見舞ったのが彼女のここ最近の武勇伝である。
その後一応の謝罪は見せたもののそよ風が頬に当たって心地が良かった、なんて言われたものだから意地になって毎日のように彼に面会を申し込んでいるのだった。
セインと呼ばれた青年は非常に憎たらしい性格をしているのだがその類稀なる美貌と逆らえない雰囲気は尋常ではない。
この世界で高貴なる存在と言えば千年を超える寿命と強大な力を持つ龍だがその龍を髣髴とさせる存在だった。それももちろん、彼は、龍の子どもの中で星竜(スタードラゴン)と呼ばれる少し特別な生まれの龍なのだ。
この世界の龍は世界に大きな力を与えており火、風、水、地と四つの種族に分かれている。人間がどれだけ集まっても勝ち得ない力を持った彼らは非常に温厚で人間に対して好意的だった。その龍が火龍同士、水龍同士ではなく異種の属性同士で子を成した場合に星竜は生まれる。
星竜は四つの種の龍たちとは違い子を成すこともなく寿命も随分と短い。といっても数百年は生き、普通の人間からすれば十分長命な生き物である。
その星竜がセインだった。龍とは別の生き物と言っても良いほど龍からすれば弱く儚い生き物なのだが人間からすれば賛美し畏怖する存在に変わりはない。龍の一族に類するのは確かなのだから。
そのセインの正体に少女は出会った日から気付いていたのだが普通の人間とは違い賛美し畏怖するどころかクソ生意気な奴だと初日から喧嘩を売っていたのでセインに慣れた王城の人間もこれには驚いたものである。
セインと出会った日からその後毎日のように彼女はセインに突っかかってくる。まさか星竜相手に魔法勝負を挑んでくる人間がいるとは思わなかったセインは面白がってほぼ毎回相手をしてやっている。いつも楽しげに外出する彼を見て王家のとある女性は楽しそうで何よりだと思っているのだがまさか敷地の端っこで魔法合戦を繰り広げているとは知りもしない。
「今日はとっておきの魔法をお見舞いしてくれる!」
「ふうん。じゃあ僕もとっておきをお見舞いしてあげるよ」
この小生意気なセインと対等に口喧嘩をしなおかつ魔法すらぶつけてみせる彼女は今日こそは、と長年研究してきたオリジナルの魔法を練り上げていく。その緻密な魔法の痕跡にセインは珍しく感心し、そして自身も得意とする火魔法を丁寧に唱え上げる。
仮にも王家の敷地内でのことだ。物を破壊するのはまずいのでセインはいつも結界を張っている。この国の王子には了承を取っているしこの国を守護している大いなる存在、水龍にも事前に知らせてはいる。もちろん魔法合戦をしているとは伝えていないが薄々察せられているがあくまでセインは敷地内で馬鹿で遊ぶと伝えている。王子も守護者も苦笑いしながらとりあえずは了承してくれた。
「いけっ!」
掛け声と共に放たれた魔法。そしてセインも同時に練り上げた魔法を相手の魔法を相殺する為に放った。
力と力がぶつかり合いそのまま互いの属性を相殺するかと思えた。なにしろ水と火だ。互いの力を打ち消すと思うのが普通なのだがこのときは違った。
「な!」
「ちょっと、なんで複合されてるわけ」
「なんで私に迫ってくるの!?」
青色をした力と赤色をした力が相殺されずに何故か融合した。混ざり合うことはないがひとつのかたまりになって向かうのはセインではない。少女の方だった。
当然と言えば当然で、いくら少女の腕が優れていてもセインの作り出す魔法の方が強力なのは絶対なのだ。唱える者の素質が桁違いに良ければ力にも反映されるわけだ。
その力は明らかに術者の意図を外れ、暴走しながらその力の代償を術者に、少女の方に払えと言わんばかりに迫ってくる。彼女の視界に見える空間は蜃気楼のように歪み、異常事態だと判断するのに十分な光景が目前に広がっている。
「セインの馬鹿野郎! これ空間引き裂いてんじゃないの!」
「今どうにかしてるっていうの!」
さすがにこれが少女に当たればまずいことはセインにも分かっていた。力を増したかたまりは空中を切り裂きながら少女の元に確実に迫っている。セインがどう頑張っても飲み込まれる距離に彼女はいた。
喚き助けを求めて逃げる彼女の左腕が空間に囚われた瞬間、彼女はその力に完全に捕らえられずるずると引きずりこまれた。もうセインにもどうしようもない。それでも出来ることをしようと必死に力を使う。
しかし複雑に絡み合った魔法を解除することは出来ず、咄嗟に追跡ともうひとつの魔法をかけてやることが精一杯だった。
「こんの馬鹿星竜め! 人外の力を加減しろ!」
「予想外だったんだ! 迎えに行くからとりあえず間抜けな死に様は晒さないでよ!」
「誰が死ぬかばー」
か、というところまで言えないまま彼女は歪の中に消えた。
セインは目の前の空間に痕跡が残ってないかを必死に辿り、そして今のところできることはないと悟ると彼にしては珍しく自分を責めた。
「ああもう! レンダルク! 厄介なことになった!」
空間を渡らせることは力の弱い星竜であるセインに出来るわけがない。少女のオリジナルの魔法とセインの魔法が変な具合に同調し暴発した結果なのだろう。誰も予想し得ないことである。
悔しいがセインの力ではどうすることも出来ない。セインはこの国の守護者、水龍の名前を呼びその元へと急ぎ向かった。
こんな惨事を知らず、人々は今日も平和に過ごしている。ある日の午後の出来事だった。
(始まりは突然に)