私がいた異界というのは死者に会うための場所だという。私がいた花畑は死者と、あとは限られたグアドの人間だけが行くことが出来る異界の端だという。あそこまでは生きている人間は存在できるらしい。それ以上先に行くとどうなるのか、シーモアは笑うだけで教えてくれはしなかった。
 ただ異界からどこか違う世界に行けるなんて話はないらしい。帰りたいと思ってもあの花畑に降りてはいけないといわれた。あの先に行ってはいけないと。

「でも、帰れるかもしれないじゃないか」

 シーモアが治めるグアドサラムの中は一ヶ月もいれば把握してしまった。毎日毎日歩き回り異界に通い続ける私はシーモアの屋敷の客だということで、白い目を向けられることもあるけど自由に歩いていられる。
 今日も異界に来て他の人と混じってじーっと異界を見ている。とは言っても周りの人は死者に会いに来ているから彼らの目の前には死んでしまった人たちが透けた姿でふわふわと浮いている。

「…しゃべらないんだよね」

 毎日通っていると気づくこともある。異界に来ている人は現れた人に懐かしそうに、あるいは悲しそうに、あるいは涙ぐんで、そうして何かを伝えている。言葉を投げかけている。投げかけて、返事がなくてもずっと話している。
 気付いたことをシーモアに聞いてみるとその通りだと頷かれた。異界に現れる死者は姿こそ現すけれど言葉を持たないと。
 それはまるで等身大の写真みたいだ。そこにただ見えるだけの人に話しかけている。もういない人に、届かなくても良いから、でも届いたら、とそう思って話しかけることに似ている。

「よし!」

 異界はいつも人がいるわけじゃない。人がいなくなる時間帯も僅かながらあるのだ。その時間を狙って私は心なし近くまで来ている花畑に向かって飛び降りかけた。

「だめだと、言ったでしょう」
「…し、シーモア」

 いつの間に来ていたんだろう。シーモアは呆れたように私を見ていた。しっかりと手首を掴まれた私は動けない。飛び降りようとした花畑は遠ざかっている。目の錯覚かもしれないけど。
 いつもの優しい瞳を少しだけしまって厳しい瞳が私を見ている。すっと目が細くなってる。

「あの花畑の先には何もありませんよ。あなたの望むものは、なにも」
「でも、あるかもしれない」
「ありません。あの先は死者の混沌とした想いがある深淵です」

 シーモアはあの先を見たことがあるんだろうか。妙に確信を持った言葉だった。シーモアもこの異界の先に何かを求めたんだろうか。…死者を?
 パッとその考えが出てきた。ここは死者に会うための場所で、私以外はみんな死んだ人に会いたくて来てるんだ。シーモアが異界の先を知りたいと思ったことがあるならそれは、つまりはシーモアが会いたい人を求めたんだ。
 グアドの人は他の種族と違って異界に干渉出来る力があるらしい。この場所から異界の端っこを望めるのもグアドの人がいつも力を使って導いているから。じゃあ、シーモアは?
 シーモアはグアドとヒトの混血だと言っていたから少しでもグアドの力はあるはず。そうだとしたら死んだ人に会いたくて、話したくてシーモアはあの先に行こうとしたんじゃないんだろうか。

「…あの先は、悲しい世界なんだね」
「まあ、そうかもしれません」
「シーモアの会いたい人は、いなかったんだね」

 そう言うとシーモアは少し驚いたらしく目を見開いた。毎日会っているけどそんな顔は珍しい。だいたいは微笑で彩られている表情だから。
 私がじっとシーモアを見ているとシーモアはふっと陰のある笑みを浮かべた。

「ええ、いませんでした。だから、あの先にあなたの望む世界はないんですよ」
「そっか」
「…屋敷に戻りましょうか」

 帰れないと暗に言われた気がして涙腺が緩んだ。視界が揺れる。でも、涙を零さないように唇を噛み締めて必死に我慢した。
 そうしたらシーモアは掴んだままの手を優しく握りなおして、今度は手首じゃなくて手を握って歩き出した。ゆっくり、私の歩調に合うように。私が前を向かなくて良いように。私はシーモアの足を見て歩く。

「ありがとう」

 囁くような声に、シーモアは手に力を込めることで返事をしてくれた。

(希望の終わりとはじまり)