遠くの方で音がざわざわ。きっとひとりひとりの声があるんだろうけど、それはここには届かない。
ただ、わかるのはこれが歓声だとか、そういう、楽しいものではないということだった。
見下ろすルカの街並みではスタジアムから人が逃げ出していたから。
「離して」
「駄目だ」
今すぐにでもスタジアムに向かって走り出したかった。ルカの一番端に位置するこの高台はルカの街並みがよく見えるけれど、ルカの街中には遠くて、スタジアムは大きくても、私の手の届くところにはない。私は今すぐにでも走り出して、試合中であろうティーダを、今もルカにいるであろうアーロンを、スタジアムで試合をみているだろうシーモアを、確認したかった。何が起こっているのかわからなくても、よくないことだということだけはわかっていて、たくさんの人はみんなスタジアムの方向から逃げ出しているから。
でも、グラムは私の手首をぎゅっと掴んでいる。振り払おうとしてもびくともしない。私は前に進むこともできず、ただグラムを睨むことしかできなかった。
「どうして」
「昨日言ったはずだ」
こんなにルカの街中が不安でざわめいているのに、離れていてもわかるのに、グラムはいつものまま。冷静で、表情一つ変えずに私の隣にいる。
昨日。
私は今日、決勝戦が始まる前にルカの外れ、街道手前の高台に連れてこられた。何をするでもなく、ただここでじっと待つように言われていた。
「……グラム」
「何だ」
「何を、待ってたの」
決勝戦前にはスタジアムを離れて、決勝戦の試合中であろう頃、突然スタジアムの方向からたくさんの人が街の外れへ外れへとなだれこんできた。
まるで、グラムは最初からその時何かが起きることを知っていたかのように。
「言ったはずだ。おまえが何をしようとも、あの場所を離れることは絶対だと」
絶対ということは、それはシーモアの命令であるということ。グラムにとって絶対。私の駄々よりも何よりも、優先すべきもの。
グラムが知っていたわけじゃない。知っていたとしても、それは、教えられたからだ。
誰に?
決まっている。
「スタジアムからま、魔物が……!」
先頭の人が私とグラムのいる場所までたどり着くと息も絶え絶えにそう口にして、グラムの腕をつかんだ。大柄で力のありそうな人。グラムが一瞬だけ目を丸くした。
その瞬間、ほんの少しだけ グラムの手の力が緩んだ。私の手首をつかむ手。
「!」
「ごめん!」
グラムの手を思い切り振り払い、走り出した。
走り出して、人でごった返す階段をかき分け、人ごみに紛れてどんどん中へと戻って行った。
さっきとは違う意味で私はシーモアのことが心配だった。
魔物が現れることを、シーモアは知っていたことになる。知ってて、そのままにしたことになる。
最悪のことを考えると頭が真っ暗になりそうだったから、途中で考えることをやめる。
「……どうして」
でもそれを聞いたところでシーモアはあの優しそうで、それでいて近づくことを許してはくれない笑みを浮かべてただ黙って私の目の前にいるだけな気がして。
だから、スタジアムに辿り着く直前、言い知れない不安に駆られて私は港の方に逃げ込み、荷物の影にかくれて膝を抱えて小さく丸まる臆病者と成り果てていた。
(臆病者は誰)