真夏の夜よりも明るく、真冬の夜よりも深い、黒の瞳。
「あんたが?」
「はい。「オアシス」のリディ・トルマ隊長ですか?」
「ああ。グレンの親戚とはいえ、容赦はしないからね。とはいってもまあ実力を見るだけだから」
大きく笑うリディを、は一目で気に入った。
「まあ、「オアシス」なんて大層な名前をつけられてはいるけど、実際はそんな良いもんじゃないんだ。」
修練場へと案内しながらリディは苦笑いを浮かべた。
が「オアシス」のことを知りたがったため説明を始めたのだ。その一言目がこれだった。
「オアシス」は総勢四十人弱の部隊だった。そのほとんどが戦闘経験があるが、大したことはないという。中には医療などに精通した者もいるらしいが男性の部隊と比べれば雲泥の差なのだ。この部隊の募集がされてまだ一年しか経っていないので、成果も出せていない。これからが正念場だ、とリディは笑った。
「リディ隊長は、強いですね」
「アタシが?」
日に焼けた浅黒な肌、エメラルドグリーンの瞳、金茶色の髪、鍛え抜かれた体。
と一緒にいる間にいる一挙一動に隙がないのだ。その洗練された動きを見て、は強いと言った。
「はい。強いと思います」
「気に入った。よろしくね」
「よろしくお願いします」
大柄ではないが普通の女性よりは大きな背中に続いては修練場へと向かった。
修練場はかなり広く、男女どちらもが修練に励んでいた。はそれを見た瞬間目をキラキラと輝かせた。修練場の入り口に最小限の荷物を詰め込んだ布袋を置いておく。メイド長が見たならば革のトランクに入れろというところだがは今兵士なのだ。入隊するためにここにいる。そんな高そうな物を持っていけるところではない。
「うわお…」
「ほとんどは男どもが使ってるけどあっちは「オアシス」の連中が使ってるよ」
人数の都合なのか、女性は隅の方で修練をしていた。よくよくみれば今この場にいるのは十五人弱。
はおかしいな、と思ったのだがそれはすぐにリディが教えた。一応四十人の部隊だが緊急時に集まる人間が多いのだ、と。
試験的なものなので実際に雇ったのは十五人。なんとも心許なかった。
「…これは、なかなか。」
早速腕前を確かめよう、と「オアシス」の面々に場所を譲って貰い二人は向かい合っていたのだ。
リディはの構えを見て思わず唸った。その構えは隙がなく、崩せるところがない。
先ほどまでにこにこと笑っていた少女はどこにもいない。目の前には女戦士が一人だけ。軽くあしらうつもりだったがそれでは逆にあしらわれるだろう。
リディは思わぬ強敵の出現に思わずニヤリ、と笑ってしまう。
「では、始め」
審判である「オアシス」の副隊長の静かな声とともに試合は開始された。
「…なんだ、ありゃ」
グレンは新人兵士を鍛えている最中だったのだが思わずその手を止めた。隅の方で行われている試合が目に入ったのだ。それに気付いた者はどんどん手を止めていった。
鈍い木刀同士が当たる音がする。一秒間に何回も。お互いの隙を狙って、死角を狙って、何度も攻防が繰り返される。
は一旦距離を取ってまた走り出す。リディはそれを受け止めようと構える。ガンッ、と木刀がぶつかり力が拮抗する。
「楽しいです、隊長」
「名前で良い。みんなリディって呼ぶからね。隊長なんておまけだ」
「じゃあリディさんで」
まだ、力は拮抗している。お互い全力で当たっているのだがなかなか崩せない。
そのことにお互い喜びを感じていた。二人ともこういう同じ力を持つ相手とはなかなか会えなかったのだ。体中の血が沸騰しそうな気持ちだった。
「あんたさ、良い腕してる。文句ない」
「でも私花嫁修業で入ってるんです」
「ああ、知ってる。だから、もったいないよ」
花嫁修業に兵士として働くというのも無茶苦茶である。けれどリディはそれを気にする女ではない。人の事情に無闇に踏み込むことは無粋だと思っているからだ。
それでも、彼女が兵士として戦わないのは、戦士として戦わないのはもったいないと思う。彼女ほどの腕があるならばどこの傭兵部隊でも雇ってくれるだろう。どこの国の戦士としてもやっていけるだろう。だから、リディは心底残念だったのだ。結婚したら兵士は止めてしまうことが、本当に、残念だったのだ。
「本当、楽しいから、もったいないよ、」
「私も、リディさんと戦うと楽しいです」
「…だから、"うち"じゃあ持て余す。」
リディの小さな呟きは剣戟に吹き飛ばされた。
リディは苦い笑みを残したまま一歩の方へと踏み込んだ。
その二人の一連の動きは修練場のほとんどの人間が見ていた。下っ端の兵士には出来ない洗練された動きに誰もが魅入っていた。
グレンですら、信じられないという顔でその動きを食い入るように見ていたのだ。
確かに、彼はが素晴らしい腕をしていると聞いていた。けれど想像を超えていたのだ。まさか、あのリディと同じレベルだとは考えなかった。
リディ・トルマはフィガロでも屈指の戦士なのだ。男も顔負けの技量で有名な女戦士として有名な。
それこそフィガロの中で十番内に入るだろう。グレンはもちろんそこに入っている。
そのリディと対等の動きを見せるは、ただ者ではなかった。
「…信じられない、な」
グレンはただその一言しか言えなかった。
「さあ、五分経ちましたから、ドローですよ」
副隊長の言葉に誰もが残念がった。けれど言われた本人達はあっさりと手を引いた。
あー、と落胆の声がいくらか聞こえた。まだ、見ていたかったのだ。リディは副隊長の方を見て楽しそうに笑った。
「アタシと同じぐらい強いよ、この子」
「どこの所属でも、下っ端なんですから最初は雑務をこなすんじゃないんですか?」
「それは当然ですよ、私はもちろんそのつもりですから」
はにこにこ笑ってみせた。下っ端扱いなど昔から慣れているのだ。雑巾掛けでも掃除でも何でも来いという気分だった。けれど周りの雰囲気には気付かなかったらしい。そこまで言ってからようやく修練場の静けさに気付いた。
「…あれ?」
「今気付いたか」
「あ、グレン隊長」
の頭にポン、と手を乗せたグレンは楽しそうに笑っていた。リディはそれを見て呆れたようにグレンを見た。
「がこんなに凄腕だなんて聞いてないよ」
「こっちもだ。強いとは聞いていたんだけどなあ…」
予想外の強さだったのだ。この場にいる人間が想像していたものよりも。
けれどはさらに信じられない言葉を口にした。
「本命は弓だけどね」
「………はぁ!?」
「グレン隊長…間抜けだよ、声」
は予想していたのか苦笑しながらそう言った。
彼女の本命は弓なのだ。ずば抜けている。彼女の師もそれは認めている。の持つものは剣ではなく弓だ、と。
けれど普段は弓を持ち歩かない。剣だけでも十分に生きていけるからだ。一応荷物の中には弓があるが使うつもりはない。
のとんでもない発言に周りはただ驚くだけだった。
グレンは特にそうだった。王女に武の才能を与える神様はとんでもない、と思っていた。とはいっても彼は神を信じるよりは己を信じて生きるタイプだったが。
「なあグレン、この子はそっちの親衛隊に入れたら?というかそこしか釣り合う場所がない」
「今女、いないんだけど」
「エリーがいるだろう、男だけど。それにエンマも直戻ってくるだろう?」
はよくわからない。どうも雲行きが怪しいことだけは理解できる。おそらく女性部隊の武術のレベルではが力を持て余すのだろう。それならば親衛隊の方が良いというわけだ。
実際「オアシス」で一番強いのはリディなのだ。彼女と互角のに敵う者は「オアシス」にはいない。
リディは個人的には彼女を隊に入れたかったが彼女自身が伸びないだろう。それならば力の差が少ない親衛隊の方が自分の稽古が出来るとリディは判断した。「オアシス」にいても自分より格下の先輩にアドバイスをするのだ。
グレンもの腕前を初めて見てリディの考えには同感なのだが、エドガーの心配する、野郎ばかりの状態に困っていた。エリーという変わり種がいるが女性はいない親衛隊。紅一点がいたにはいたのだが現在は遠方の任で城にはいなかった。
しかし彼女のその長期任務もあと二月で終わるので一人ではなくなる。それに親衛隊にはそこまで野蛮な人間などいない。隊長であるグレンが一番よく知っている。
「アタシだって出来ればにこっちにいて欲しい。だけど指導者には回したくない。アタシは自分の実力がこれ以上伸びないだろうことはわかってる。だけどはまだ十九だろう?伸び盛りなんだ。そっちにいる方が良い」
「確かにな」
ちょっと待っておきな、とリディは副隊長とグレンにもう一人の男と四人で相談を始めた。
周りは興味津々な様子でそれを見ている。当人も面白そうに結果を待っていた。
五分ほどして四人は結果を出したらしい。先ほどよりもすっきりとした顔になっていた。
はどちらの手を取れば良いのかグレンとリディの顔を見る。少女の行く末に親衛隊も、「オアシス」も、一般兵士も、みんなが注目していた。
「さあ、お嬢さん、お前はこっちだ」
「ああ、グレン隊長のところか」
に真っ直ぐと手を差し伸べたのはグレンだった。面白そうに、キラキラと輝く瞳でを見ていた。
そのたくましく頼りがいのある体から伸びた手を見ては自然な動作でそれを取った。
その瞬間、ワァ、と歓声があがった。十人程度だが、全員男だった。グレンと似たような服装だったのでそれが親衛隊の面子だとはすぐに察しがついた。
「本当、惜しいよねぇ。アタシもまたそっちに戻ろうか」
「リディ、あんたは進んで「オアシス」の初代隊長になったんだろうが。こいつのことは俺がしっかり面倒見るから。たまに相手してやれよ」
「…仕方ない。そうするよ。「オアシス」の連中ももっと強くなってもらわないと」
結局は親衛隊所属になることがその日のうちに決まった。
としてはどこでも良かったのだがより強い人間がいるならそれにこしたことはない。師が昔言った通り、はより多くの剣を学びより深く剣を愛したいのだ。
その本来の目的が恋愛をするため、ということを本人は半ば忘れかけていた。