踊るような髪が彼女らしい。
エドガーの執務室。そこには密かに海を渡ってきた使者がいた。
エスツァンの女剣士は王であるエドガーの前で胸を張って立っていた。何のためかといえば簡単で、己の主人をつれて帰るためだった。
まず軽い挨拶をした。自国の王もこのフィガロ王も長い挨拶など無駄と思う人種だ。本当にごくごく簡単な挨拶しかしていない。それからすぐ、頭を下げた。
「うちの姫がご迷惑をおかけしました。申し訳在りません。すぐにでも連れて帰ります」
「いや、いい。ただ親父殿にお宅のお嬢さんを少しお預かりすると言って欲しい」
「…姫を?」
別にそれは問題ないのだ。彼はの婚約者なのだから。それに彼ならばきちんとした礼儀をもってをもてなしてくれるだろう。
彼女はそう思ったのだが理由を聞かなければ国王は納得しない。ああ見えて彼は娘を溺愛しているのだ。
「ああ。構わないかな?」
「私が口を出せることではございません。ただ…」
我が国王が、と彼女は最後まで言わずに誤魔化す。まさか娘を溺愛している王だから理由を言わないと怒るんです、などと言えるわけがない。
けれどエドガーはそれで十分通じたようだった。苦笑しながら理由を教える。
「がである時間を作ってやりたかった」
「…?」
彼女にはその言葉がいまいち理解できない。彼女にとっては出会った時からなのだ。がである時間とは一体なんなのか。今の彼女はではないのか。そういう意味を込めた視線でエドガーを見た。
「王女として、王妃として、は時間を生きていく。そうしたら、としての、ただの少女としての時間はどこにある?」
彼女は、言葉が出なかった。返せる言葉も持たなかった。
は自分の国では王女だ。それは国民全員が知っている。
どんなに親しく話すことがあっても、は王女なのだ。
エドガーの妻となるは、王妃だ。国民全員がそれを認識する。そうなればは多くのものに縛られる。だから、エドガーはがでいられる時間、と言ったのだ。
「…具体的に何をするんですか?」
「身分を隠して生活するぐらいだ。親父殿には上手く言っておいてくれないか?」
うまく言うもなにも国王ならばそれを許すだろう。がであれる時間をエドガーが作りたいと言ったならば否という理由がない。元々を溺愛している上、エドガーのことを気に入っているのだから。
「わかりました」
彼女は付け足しにには無断外出及び無断外泊のお説教をすることをエドガーに伝えた。エドガーはそれはもちろん当然だろう、とそれを許可した。
「サ、サラシャ!?」
メイドとして働こうというの元に、彼女は笑顔でやって来た。不意打ちの訪問には驚き、慌てた。なぜ、よりにもよって彼女なのだ、と。マナーの鬼と並ぶ強敵がここにいるのだ、と。
「お久しぶりです、様」
サラシャは若くて美しい。今年で二十七になるがその顔立ちは聡明で、力強い。亜麻色の髪を短く刈り上げた女剣士はにこにこと、けれど確実に怒っているのがわかる笑顔でを見た。
は部屋の隅に逃げ込み、入り口に立つ彼女を怖々とした様子で見ていた。
「そんなに怯えなくてもここは我が国ではありませんから私だって大人しくしておきます」
「…」
自身の国なら今頃跳び蹴りをかまされ敬語の怒声が響いたであろう。もちろんもそれを受けるほど抜けてはいない。避けられるぐらいの技量はある。しかしここは他国の城内で、婚約者の城となればなおさらだった。それぐらいの分別はサラシャにもある。
けれど自国に彼女を連れ帰る時が来るならばサラシャはまた喜んで任を受けるだろう。そして道中ひたすら愚痴愚痴とお説教をたれるのだ。
「さあ、お父上に謝罪の手紙を書いて下さい。というか無事だということを知らせないと私がクビです。
フィガロ王から話は聞いていますからこちらに滞在することは私から進言しておきます。もちろん、それなりに誠意のこもった手紙をお父上や他の方々に書くというお返事が頂けたら、ですが。様、どうなさいますか?」
この長台詞を一息で捲し立てるサラシャに対して最初から答えは一つしかない。拒否する手もあるように言っているが拒否することは叶わない。手紙を書かなければサラシャは無理矢理引きずってでもを国へ連れて帰るだろう。
答えは一つ。が大人しく今日一日を長い長い手紙を書く作業に没頭するという選択肢だけ。
「サラシャちゃんの言う通り私がだらだらと父様に謝る。謝るから」
「わかっていただけたようで何よりです。ちなみに書き終えるまで私傍にいますから、びったりと。ああ、理由の方はうまいことが思いつかなくてもこちらでなんとかしますからご安心ください」
「…うん」
は半分感謝、半分嫌そうな目でサラシャを見た。サラシャとは長い付き合いだからこそ会話がかみ合う。
そしての会話のパターンを知っているからにこにこと説教も上手いこと織り交ぜてくるのだ。
今の一連の会話もその類に入る。
がこの上なく嫌そうな目をしたことにサラシャは苦笑する。
早めに終わったならば稽古をつけましょう、と提案をした。その瞬間はメイドを呼んでいた。
「イラちゃーん、ペンと紙を持ってきてー!私の修行がかかってるの!」
のお世話係のイラはすぐに走り出した。
サラシャはを見た。はベッドに腰掛けながら既に手紙の構成を考えていた。
自分も気に入られているな、とサラシャはのんびり思いながら、大切な姫が手紙を書いている間はのんびりと再会の喜びに浸ろうと考えていた。