あの頃は、小さな、女の子だったのに。
「様、入浴の準備が整いました。」
「ありがとう。」
はメイドに礼を言って砂埃を落とすため入浴した。必要最低限の水を使ったは服も着替えた。持ち込んだ服は旅路の間に汚れていたので城にある服を着たのだがそれがエドガーの母親のものだと知るとは目を丸くして他の服にして、と頼んだ。
「陛下のご意向ですから。」
メイド長であるがっしりとした体型の中年の女性がはっきりと言った。
はされるがままに着替えを済ませた。
淡いピンクのワンピースに白いカーディガンはにとてもよく似合っていた。
「まあ、奥様が若い頃に着ていたものですけどピッタリですね!」
メイド長はニコニコ笑って喜んだ。昔を思い出しているのだろう。は洋服を汚さないように大人しくしていよう、と決めた。父にじゃじゃ馬と呼ばれるだがやろうと思えば「王女らしい振る舞い」は出来るのだ。ただ、それを積極的にしないだけなのだった。
「昼食は王女と?」
「ああ」
「しかし、五年前と見違えた」
国王の執務室にはエドガーと、青年がいた。その雰囲気は堅苦しいものとはほど遠い、リラックスしたものだった。
エドガーは長年の付き合いである親衛隊長を見た。あれほど化けるとは、と軽口を叩いている。
薄茶色の髪を短く切っていて見た目は精悍だった。ただ、軽口が多いのだがエドガーはそれを好ましく思っていた。主従関係はあるものの彼は態度がかなり軽い。
国王相手でもざっくばらんな口調で話すのだ。それがエドガーが彼を気に入っているところの一つだった。
「ああ。最初見たときは驚いた。誰かと思ったぐらいだ」
小さな少女の頃から彼女を知っているエドガーからしてみれば無理もない。最後に会ったのはが十四歳の時であり、まだまだ少女の年頃だった。今もまだ十九歳だがそこには女性らしさも垣間見える。
しなやかな黒髪を背中で踊らせている。昔から変わらない、きれいな髪。幼さしかなかった顔立ちはいつの間にか女性の顔が混ざっていた。時折見せるちょっとした仕草や表情は確かに女性のもので、エドガーは戸惑った。
話せば昔と変わらぬお転婆姫だというのに見た目はそれとは違う。
「お、噂をすれば」
だから、今し方現れたが母親が昔は良く着ていたと言っていたお気に入りのワンピースを着て現れたのには驚いた。
着ていることは驚かない。自分が頼んだことなのだから。
しかしその似合いようといったらないのだ。それを見てつい母も又こんな風に着ていたのだろうかとエドガーは考える。それが誰かに着られるなど、エドガーは思いもしなかった。それがあの小さな姫だとは、思いもしなかった。これだって娘のいなかった母親が昔娘が出来たら自分の若い頃の服を着せたいと言ったのを思い出した気まぐれだったのだ。
予想以上だった。
「ああ、グレン隊長」
「よぉ、姫サン」
グレン隊長、と呼ばれた親衛隊長はほんの少し口角を上げて笑った。今は誰もが呼ぶその呼び名だが、王とこの姫だけは特別の呼び名に聞こえた。
小さい頃から年頃が近いということで相手をし続けた王子たちをグレンは好んでいた。何時の日からかするりと思い出の中に入り込んで一緒に剣の稽古をしている姫を好んでいた。
恋愛感情などというものではなく、人間として、彼らが好きだった。
「さっきメイド長から聞いたんだけど、グレン隊長本当に隊長になったんだってね。エドガーの親衛隊長。出世したんだねー。意外だけど」
「昔からの縁ってやつですから。意外っていうのは余計だと思うんですがねぇ、姫サン」
「嘘嘘。おめでとう。」
笑顔が眩しい少女だったことを、この城の多くの者が知っている。いくら女性らしくなっても、美しくなっても、彼女の本質は変わっていないのだ。
おめでとう、とグレンに笑いかけた姿は五年前と少しも変わっていなかった。
「今日はお二人でお食事ですね。どうぞごゆっくり。」
「え?グレン隊長も一緒に食べようよ。立食会開いて。メイド長とも話したいの。ああ、エドガー、執事にも!みんな前より偉くなってるから面白くって」
エドガーは今すぐには無理だから後日改めてすることにしようと提案した。はそれに頷き今日はエドガーで我慢してやろう、と笑った。
その笑顔が遠い日の母親と被った気がして、エドガーは一瞬目を見開く。けれどが疑問を持つ前にその色は消えてしまう。グレンも気付いたが見間違いかと流してしまう。
「あと少しで午前の仕事が終わるから、グレンと話して暇をつぶしておいてくれるかな?」
「頑張ってね、公務」
「姫サンなら俺がお守りしますから」
ひらひらとエドガーは手を振りそれを見送った。それから意識を切り替えて目の前の書類と向き合った。
「エドガー、本当に王さまだね」
「ああ・・・・あれで公私はわける人だから、仕事ははかどってますよ、姫サン」
そんな感じがする、とは笑う。
二人はの希望で城の最上階のさらに上、屋上にいた。
砂漠の国の風を受けながらは笑った。海の国の王女は砂の中でもその魅力を放っていた。
「このままだとあんな人と結婚だよ。どうする?」
「どうするもなにも、俺は臣下ですから」
「親友のくせに」
は知っている。グレンがエドガーと二人の時は敬語など使わないことを。
彼はエドガーの臣下だがこの国の中でも地位ある家系の次男坊だとは知っている。昔は、こんな風に敬語を使うことはなかった。それはの望んでいるものだった。
「あはは。」
「別にさ、私は敬語使わないからって怒らないんだけどね。王族って高飛車で敬われて、従者を使わなくちゃ気が済まない人間みたいだけどさ、うちの国海軍は強いけど他に金回さないから城なんて城塞だし貧乏なんだよ。本当、帝国の大貴族の方がよっぽどみんなの想像する王族生活送ってるだろうから」
は国一番と謳われる武術の腕を持つ司令官にしごかれた。その態度は国の王女に対するものとはほど遠い、一弟子に対する師匠のものだった。国王ももそれを望んでいた。敬われるのは好きではなかったのだ。新人兵でも王女に話しかけることをよしとするお国なのだ。いまさら敬意を向けろだのなんだのと耳にうるさいとしか思えなかった。
「変わってないのな、姫サンは」
「そう。だからグレン隊長も変わらなくても良いんだよ。少なくとも、小うるさい人がいないところでは」
私は、それを望んでいない。
は軽く風に乗せるように、けれどはっきりと、グレンに告げた。
グレンは姫サンがそう言うなら、と笑ってそれを了承した。元々お役人気質とはほど遠いのだ。
「なあ姫サン、エドガーと、結婚する気は?」
「結婚するのは良いけど、恋愛にはなってない」
結婚というのは政治のための道具にもなり得る。それをは理解している。だから結婚すること自体には拒否するつもりはない。ただ、自分が心から愛せることが出来る人にあったならば拒否するつもりだった。
それだけは、心の底で決めていることだった。
「相変わらず、決意は堅いってわけで」
「五年前も同じこと言ってた?」
「いや、たまにエドガーに宛てた手紙で。俺はエドガーから聞いた。『がそれを望むのなら俺はそれを優先させるさ。』だと。紳士だな。タラシだが」
「タラシ?」
ああ、知らないのか、とグレンはにんまりと笑う。彼の王様は自らのことを、特に女性関係のことは避けていたらしい。これ幸いとばかりに子どものような顔で笑ったグレンは活き活きとその類の話を始めたのだった。