笑って。こちらを向いて。もし良いと言うなら名前を呼ばせて。そうして言わせて。










 これはまずいねと笑っていた。そうしたら彼女のことを泣きそうな顔をした人たちがこちらを見ている。周りでは厳しい顔をして誰かが指示を出している。
 死ぬかもなあとのんびり呟いたら死んだら許さないよというエリーの少しかすれた声が聞こえた。


、死んだら陛下が泣くと思うよ」
「どうして?」
「さあ?どうしてだろうね」


 はエドガーが泣くところなど想像できない。もしが死ねば悲しんではくれるだろうが泣いてくれるのだろうか。もし泣いてもそれはどんな涙なのだろう。にはわからない。
 お互い重傷者だというのに彼らはそんな会話を交わしていた。既に意識ははっきりとはしていない。








 が飛び出していったのは何も腹が立っていたからではない。飛び出したら砂漠で魔物が現れてキャラバンが襲われていると聞いたからだ。手が空いていたエリーと二人、兵士を連れて現場に急行した。


「…予想外な大きさ」


 たちを出迎えたのはかなりの大きさの魔物でキャラバンの護衛ぐらいじゃ手に負えないレベルのものだった。彼らが逃げ出すのも無理はない。
 とエリーはすぐに作戦を組み速やかにそれを実行した。こういう急場の対応には二人とも慣れている。

 苦戦しつつも何とか敵を追い詰めていき、あと一歩というところで兵の一人が砂に足をとられた。


「う、ぁ」


 兵士の目の前にはここぞとばかりに牙を光らせる魔物。己が食われると意識した瞬間体がまるで動かなくなった。
 はその瞬間体を動かして無理矢理その牙を受け止めていた。


!」


 囮役としてかなり傷を負っていたエリーが必死に名前を叫んでいたけれどは鈍痛に顔をしかませながらも魔物の脳天に己の剣を突き刺していた。
 肩に走る痛みなど、後ろにいる一人の命に比べれば安いものだ。部下は、自分の下にいる人間は守らなければならないのだから。にとっていつだって守るべき人がいるのだ。国では国民たちで、ここでは部下だ。そして力を持てない国民たちだ。
 敵が完全に沈むのを確認するとは微かにだが笑った。

 そのあと冒頭の会話を交わした二人はそのまま意識を手放し部下たちは必死に行動を始めたのだった。











「エリー、肩を牙で刺されたときに思ったことがあるんだ」
「うん?」
「なんでだろう。真っ先に頭に浮かんだんだ」


 誰でもない、あの顔が。声が。笑顔が。呼んでくれるあなたが。
 エリーは隣で同じように安静にしている彼女がどんな表情を浮かべているのか非常に気になったが見ることは出来なかった。彼女よりましとはいえエリーもまた重傷者なのだ。

 二人がかなりの傷を負ったが他の者は動けなくなるほど傷を負ったものはおらず、足の速い者たちが城に救援を求めに向かっている。残りは避難していたキャラバンを見つけとエリーを馬車の中に入れて手当てをし今はキャラバンに必要なものをもらいに行っていた。
 意識を取り戻した二人は重傷ではあるが命に別状はなくこうして会話を交わすことが出来ている。


、わたしはきみのことを知っているんだ」


 小さな呟きはかろうじての耳に入るぐらいだった。
 はなんとか返事をしてみせる。


「とても、芯のある姫だと思ったよ」
「…バレてたのかあ」
「わたしだけだ。将軍がエスツァンを訪問するときに人手が足りないと一人借り出されてね。そこで、を見たよ」


 公式の場には出てこなかった姫は堂々と兵舎で遊んでいた。稽古ともいえるだろうが姫君の方が指導しているのはなんとも奇妙な図だった。だからエリーは何年も前のことだったのに覚えていたのだ。
 その頃から婚約の話は上の方では囁かれていた。当然兵士たちもそういう噂を知っていた。
 エリーは力いっぱい動き回る彼女を見て思わず微笑んでいた。


「帝国の貴族とかは言語道断なんだろうけど、うちの陛下にはあれぐらい素敵な姫君のほうが良いと思ったんだ」
「…けなしてる?」
「ほめてるさ」


 あの自由奔放な彼にはしとやかな見た目だけの女王よりも隣で胸を張って国を思える人と結婚して欲しかった。王族など政略結婚ばかりだということはわかっていてもそれでも幸せな結婚をしてもらいたい。
 だからあの少女と婚約が決まり、本当にお互いを想って結婚できたならそれは素晴らしいと思ったのだ。


、陛下のことをどう思ってるんだい?」
「ど、どうって…エドガーのことは良い人だと思う。私のこと面倒見てくれて、仕事をくれて、」
「好きかな?」
「そりゃ好きだけど…好き…だけど」


 痛みで頭が朦朧としているのかもしれない。は自分が何を言っているのかわからなくなっていた。
 エリーの方もほどではないけれど普段ならむやみに聞かないことを聞いている。


「思い浮かべたのは陛下のことだろう?」
「な、な」


 もうそれだけで確定的だった。声だけでわかってしまうその可愛らしさにエリーは微笑む。
 何年か前に抱いた夢が本当に実現する日が近づいてきたのだ。そう遠くない未来、幸せそうに微笑む二人が見れるのかもしれないのだ。


「もしがあのとき陛下のことを考えたのならそれはきみが陛下を好きだということだ」
「…たった一人の人として?」
「さあ。それは、きみだけが知ってる」


 たった一人の人かもしれない彼は今誰を思っているかなんて、愚問だ。
 エリーはに微笑んで次の嵐のために寝ることを提案した。










 陛下、と叫ぶ声が聞こえたけれど流石に我慢がいかなかった。彼にとってやっと見つけた人だ。あの日以来感じることのなかった痛くて甘くて苦しくて、でも幸せな思いをくれる人だ。失うわけにはいかなかったのだ。
 彼は走って、制止の声も聞かずに飛び出した。


「陛下、お待ちください!」
「大事な海の宝を手放すわけにはいかないんだ」


 笑って、彼は砂漠に身を溶け込ませる。


「陛下にだけ行かせるわけにはいかないでしょうが!」
「お前らアイツを助けるのは兄貴の仕事だ!」


 台風はあっという間に去っていき残された者たちは唖然とするしかなかった。
 台風は猛スピードで彼らの方に向かっていた。