姿を見せて。笑って。もし心を許してくれるなら、抱きしめて。
今日はエリーとが執務室前の警護の日だった。
そんな日に海から大嵐がやって来た。それは陸に上がり海から遠く離れても勢いを弱めることもせずフィガロの城に襲い掛かった。
今日の門番は不運だった。伝令役も不運だった。何より大臣が不運だった。大嵐に笑顔で王に会わせて欲しいと圧迫され常にそのオーラを浴びていたのだから。
大臣は王に来客の旨を伝え至急私室で会って欲しいと懇願した。我々では手に負えないとこっそりと耳打ちをして。その人物の名を聞いたエドガーは苦笑いを浮かべてはいたが嬉しそうでもあった。
「あいつが来たのか」
エドガーには急な訪問には心当たりがあったのですぐに立ち上がった。
触らぬ神に祟りなしというのが利口な方法だったがそういうわけにはいかなかった。なにしろ相手が相手である。すぐに部屋を出た。
扉の前で警護をしている二人に素早く指示を出す。
「エリー、グレンを呼んで来てくれ。はこっちだ」
「はい」
エリーはさっとその場を離れる。客人はどうやら気心の知れた者らしい。グレンを呼ぶのはそういうことだった。
は自分が残された理由を薄々と感じていた。そろそろだとは思っていたのだ。何ヶ月も家を出たままでたまの手紙には元気ですという簡単なことしか綴っていなかったのだから。
「来たな」
「ご迷惑おかけして本当にすみません」
そう言って二人はエドガーの私室の扉の先の人物と出会った。
部屋のソファでじっと座っていた青年は二人の入室を見た瞬間立ち上がり彼らの元に来ると思い切りその手を振った。
かわいた音が部屋に響く。
「、お前は一度死んだ方が己の浅はかさに気づくんだろうな」
頬をたたかれたは厳しい目で客人を睨みつけていた。いつもの彼女とは打って変わった様子にさすがのエドガーも思わず息を呑んだ。
二人は互いを睨み今にも喰い殺す勢いだった。
「お前は子どもだってことに甘えてるだけだ。わかってんのか」
「関係ないじゃん」
「死にたいらしい」
どんどん険悪になっていく二人を見ていたエドガーはさすがにまずいと思ったのか二人の間に割って入った。これ以上会話を続けるとエドガーの私室で死闘を演じる気がしたのでそれは遠慮してもらいたかったのだ。
「落ち着け二人とも。兄妹でいきなりケンカは好ましくないぞ」
「エドガー、こいつは一度死なないと馬鹿が治らないんだ」
「私もミディ兄とは一度ケリをつけなきゃと思ってたよ」
エスツァンの第一王位継承者、つまり次期国王でありの兄であるミディアがそこにいた。とよく似たきれいな容貌だったがその姿は今は修羅のごとくおそろしいものとなっている。
視線がぶつかり合った空中で火花が炸裂する様がエドガーには見えた。かなり激しく散っている。そういう部屋の空気だった。
そこに救世主となるかさらに事態をややこしくするか、とにかく新たな関係者登場である。
「陛下、お呼びみたいですが…あー、俺急に腹痛に見舞われたので早退します」
「そうはいくか」
この危険な空気を一瞬で察知したグレンは回れ右をして退室を試みた。しかし兄妹の壮絶なにらみ合いの中エドガーは素早く動いてグレンを中に引きずり込んだ。それに気をとられることなく彼らはとにかくお互いを牽制しあっている。そのうち抜刀しそうだったがあいにく王の部屋に武器の持ち込みは禁止である。全員武装解除している。
グレンは何があったのかはよくわからなかったのだが最初からいたエドガーにもいまいち事態を把握出来ない。いや、わかるのだが止める術を持たないのだ。
「お前は他国の王に甘えて自分の生活を保護してもらって…王女として恥ずかしくないのか!」
「うっるさいな!私には私の考えがあるんだって何度も言ってるじゃないのミディ兄の馬鹿!」
「馬鹿とは何だ!お前本当にわかってんのか!?お前が保護を求めたのは婚約者のところなんだからな!」
「わかってるよ馬鹿!確かに甘えたけど私は働いてここに住むことを認めてもらいたいと思ってるの!私は今王女じゃない。よ!」
「それが甘えなんだよ!」
お互い顔を真っ赤にさせて怒鳴りあっていたがの中で何かが切れた。
その瞬間鈍い音がし、それからどんと何かが倒れた。
「!」
ミディアがそう叫んだ瞬間には扉が勢いよく閉まる音がした。
「あの馬鹿!」
妹に殴られ床に落ちた兄は悪態をついて起き上がろうとした。そこに手を差し伸べられる。彼は遠慮なくその手を使って起き上がる。そのときに礼を言うのも忘れない。
「ごめんな、エドガー」
「いや。…お前たちの問題ではあるんだがはたしかに働いてここにいる権利を得ているんだ」
「お前に与えてもらった役で、だ。甘えだろう」
現実から逃げているんだとミディアは呟いた。逃げるならどうしてもっと誰も知らない場所にしないんだとも思う。なぜよりによって婚約者のところに逃げ込むのか。己を追い詰めているだけではないか。
もしかしたら、そうしたかったのかもしれない。優しい婚約者を頼って自分を追い詰めて、結婚を決めようと思ったのかもしれない。そこにミディアは気づいていたけれど無視した。そんなことをさせていると認めたくなかったのだ。
「それでもは頑張っていたよ。その頑張りを見てやるぐらいはしてやってくれ、ミディア」
「……お前はいつだってに甘い」
「最近はとくに甘いですよ、ねえ陛下?」
その微妙なニュアンスをミディアは敏感に掴んでにやりと笑った。ほお、とエドガーの方に近づいた。
「どういうことかな、エドガー」
「…グレン、減給」
「俺が情報量としてそれ補ってやるぞ、隊長」
そうやって三人が和やかな空気を取り戻していたとき、は砂漠の海に飛び出していったのだが彼らがそれに気づくのはしばらく経ってからだった。