その声で、名前を呼んでくれたら何もいらない。










 男性陣の淡い期待空しく、勇気を持ってがエンマに話しかけたことがきっかけで彼女らはたちまち仲良くなった。
 もともとお互いに意見を持った人間同士である。それにはエンマのようなはっきりとした自立した女性のことを理解していたし、エンマも自分の理解者が現れたことに素直に喜んだ。
 こうしてこの国で現在もっとも強いと思われる女性二人がタッグを組んだのだった。事実上敵う人間がいないことになる。せいぜい、対抗馬として国王と親衛隊長のタッグぐらいがいるだけだった。


「いやあ、昔は本当あたしもいろいろあってね。なんていうのかな、ああいう風に自分の立場を明かさずにしか人に役に立てなかったんだよね。素性は知られたくなかったの。あたしはいいことしてるなんて思ってなかった。あれが義賊として成り立っていたのもあたしが盗んだのが一般的に悪いって言われてるやつらだったからだからね。そういう悪いやつらへの復讐、みたいなもんだったんだよ、あの盗みの数々は」


 久々の休暇が次の日に控えている夜、二人は部屋で女の子のおしゃべりを楽しんでいた。
 エンマは人の話を聞くのがうまかった。そしてその聞いた分の倍以上自分のこともしゃべった。
 の周りにはいないタイプだった。そしてここまで砕けた調子で話をしてくれるのも彼女しかいなかった。なにせは王女なのだ。どれだけ民と王家が近い国といっても限度がある。
 だからはエンマとのこのおしゃべりを心から楽しんでいた。


「じゃあ、今ここにいるのはその復讐を止めたから?」
「ううん、終わったから。何年か前に終わってしまって、それがあまりにあっけなかったもんだから呆然としてたのね。それで慣れていたはずの砂漠で砂嵐にあって、遭難しちゃったの。こればっかりはどうしようもなかったな。悲しいことに。あたし死んじゃうのかなあなんて思ってたの。そしたらね、」


 そこで言葉を切って溜めるエンマは瞳をキラキラ輝かせてその日のことを思い出していた。








 あの日、砂嵐は年に一度あるかないかの大嵐で、こういった嵐に巻き込まれた人間はほとんどが生きて帰ってきた試はなかった。
 エンマはかろうじて近くの洞窟に逃げ込みその嵐自体はなんとかしのぐことが出来た。ただ、そこがどこだかわからなくなってしまったのだ。居場所がわからなければこの広大な砂漠を抜けることは至難の業である。


「くっそ…とうとうあたしもおしまい、か」


 まだ食料と水は残っていたがあてもなく砂漠を歩きとおせるほどのものではない。居場所がわからないということは砂漠を抜ける道と正反対の方向に歩き出してしまうかもしれないということだ。そうなれば砂漠のど真ん中でからからに干乾びてしまうしかない。
 一か八か外を歩いてオアシスでも見つけたらなんとなかなるかもしれない。エンマはこの砂漠のほとんどのオアシスを把握していたのだから。


「太陽と水の女神と、あたしの運に賭けるか」


 どうせここにいたって死んでしまうのだ。
 エンマは躊躇なく砂漠へと飛び出した。


 しかしエンマの淡い期待とは裏腹に砂漠の過酷な環境はエンマの体力を奪い、気力を奪い、希望を奪っていった。オアシスは見えず、ただひたすら砂が続く。焼け付くような暑さが体を襲う。
 水も食料もほとんど底を尽き、ここら辺で限界も近いな、とエンマが冷静に考えていると、前方からラクダに乗ってこちらに近づいてくる一団が見えた。


「おい、大丈夫か!」
「…人?」


砂漠の黄色の中で薄茶色の髪の毛が見えた。









「砂嵐に巻き込まれた国民を救うために兵士総出で捜索活動してた隊長が助けてくれたんだよ。キャラバンも巻き込まれてたらしくって、大々的な捜索があったらしいんだけど、その場所から離れてたからみんなあたしのいるところなんて捜しもしなかった。けど、隊長は埋もれかけたあたしを見事に見つけたんだよね」
「御伽噺の王子様…」
「実際は俵のように担がれただけ」


 けれど何もかも終えて満足しきっていたエンマにとっては誰かが自分を助けてくれるなんてことはないことだった。自分はもうやることはやった。次に何をして生きるかなんて思いつきもしなかったのだ。だから、死んでも良いとも思った。
 人を米俵のように担いで城まで持って帰ってきた青年はその足で王と一対一の謁見を望んだ。砂まみれの親衛隊隊長を大臣は渋い顔をしつつも己の主の前に通した。主が許したのだから大臣に文句など言えるわけもなかったのだ。


「あのときの陛下、優しかったんだよ。隊長がこいつはきっと朱髪の魔女だって言っても笑って、謁見の間に転がったあたしに声をかけて、笑ってくれた」
「エ…陛下が…」


 あの人は天性の才能があるらしい。人を惹きつけてやまない何かがその体には備わっているらしいのだ。それは耐え難い魅力を持って相手の心をくすぐり、そのそばから離れたくないと思わせる力だった。
 グレンだってロックだってこのエンマだってその虜になった人間だ。そしてそれは国中に及ぶ。若く賢く美しい王は国民の自慢の王であり誇りなのだ。
 エンマは罪深いよね、と笑っている。あたしはあの人のせいで死ぬことなんて出来ない、と。


「どうして?」
「だって、初めて会ったあの日、陛下は『俺の為に生き、国の為に生き、そして死ぬつもりはないか、砂漠の民の娘よ』って言ったの。あたしは、誇りの為に生きようと思った」


 砂漠の民は今はもう滅び去った一族である。砂漠と共に生き、死ぬ。そういう一族だった。彼らは十数年前に完全に姿を消した。その滅んだ理由は人口の減少だとか、砂漠で生きることが困難になったとかいろいろと言われていたがいまだに原因は不明のままだった。
 その最後の砂漠の民は笑って、王と共に生きると、砂漠の民は王と心を共にする、とその目を真っ直ぐと前に見据えて言った。誇り高い目だった。


「あたしは、盗賊の前に砂漠の民だったから。それを、あの人は知っていてくれたから」
「その、緑の目でしょう?」
「よくわかったね」


 はそっと微笑むだけである。それは内緒だと、沈黙のうちに返事を含めている。
 緑はオアシス。緑はこの砂漠で至宝の一つとされる色で、砂漠の民はこの国の民の中では唯一その瞳を持っている優しい一族なんだ。
 遠い昔、この国の王子が幼馴染の王女に話した自国の誇りの一つだった。


「灼熱の中に存在する滅びぬ緑、砂漠の民は滅びない」
「……陛下と、同じ」


 感じたことは同じだったのだ。は思わず笑ってしまう。そして同じ事を思った彼を誇らしく思った。
 そこで厳かに宣言した彼女はまさに王族たる堂々とした風格と品格を持っていた。