いつもは小さく刻むそのリズムが、ふとしたことで大きく感覚を空けるのは、
きみが飛ぶように走るからで、小刻みになるのは人に追いつこうと走るとき。
走らなくても良いよう、俺はきみのリズムに身を任せよう。
その心地よさを知っているのは、俺だけだから。
「ここ最近はご機嫌だねえ、陛下」
「そんなことはないぞ」
エドガーはそう言いながらいつもよりも五割増のスピードで仕事をこなす。けれど手を抜いているわけではない。自然と書類に目を通す作業が楽しくなっているのだ。
と久々に会ってから数日、執事も驚くようなご機嫌振りをエドガーは見せている。もちろん長年の友人であるグレンもそれに気付いてこうしてからかっているのだ。
「となんかあった?」
執務室にはエドガーとグレンの二人きり。そして今は休憩中である。こうした話をしてもなんら問題はない。けれどエドガーはさあな、と笑う。その意味深な笑みにグレンは何かあったのだと勝手に推測する。何もなかったとしてもエドガーにとって何らかの変化が訪れたのは目に見えている。
「あー、もしかして好きになっちゃった、ってやつ?」
グレンは冗談半分でそう言ったのだがエドガーの態度は彼の予想外のものだった。そうかもしれない、と肯定したのだ。かも、とつけているのはグレンに対する照れ隠しだ。
なにせエドガーという男、女性に優しいのだが恋らしい恋など数えるほどしかしていないのだ。その意外な一面を知る人物はグレンを除いても多くはない。
グレンは目を丸くして、何か言おうと思ったのだが言葉が出ず、しまいにはゲラゲラと笑い始めた。
「グレン…?」
「だって!お前!初恋でもしましたみたいな初々しさを出されてもだな!」
もうだめだ、とグレンは体を二つにおりひいひい言っている。エドガーはそんな顔していたのか、と少し落ち込んでいた。そんな二人の姿は何年も共にあったからこそ出されるものだった。
「グレン、お前一度砂漠に埋もれろ」
「はいはい。へーかのお気持ちをはっきり確かめられたらね」
エドガーの眉間に皺が寄った。これだけで貴婦人の中にわめく人が出るだろう。なんとも羨ましい話である。もちろん、グレンが眉間に皺を寄せたらエドガーとまではいかなくても、多くの貴婦人がわめくだろう。その前に隊員たちに何が起こったのだと驚かれるのが先だろうが。
「には、の生き方がある」
「そしてお前にはお前の生き方がある」
相手を尊重することは悪いことではない。良いことだろう。けれど相手を尊重するだけではだめなのだ。自分にも自分の生き方がある。
エドガーはにらしくあるための場を提供したが、エドガーはエドガーで自分らしくあるべきなのだ。それは義務ではなく、権利だ。生まれて持ってきた権利だ。好きなように生きる権利だ。選択肢は人それぞれだが、選ぶという権利がある。選ばずにたゆたうという道もある。全て、自分の生き方である。
「別にがお前を好きでなくてもお前がを好きならそれは遠慮する事じゃないってこと」
「お前はあっさりしていて良いな」
「別に自分の事じゃないから言えるようなもんであって、これが自分のことだったらどうだか」
肩をすくめるグレンだが顔は笑っている。エドガーが人を好きになったという事実が嬉しいのだ。人として誰かを好意的に思うことはあっても恋愛感情を持つことはなかった。もしかして一生愛のない生活を送るのではないかとグレンは友人として心配していたのだが、どうやらその心配はもうしなくても良いらしい。
ただ、問題は相手の方である。が、この生活で、恋をするのか、しないのか。その相手が誰なのか。それによるのだ。
「前途多難だねえ、へーか」
「お前こそさっさと相手を見つけろ」
苦し紛れの一言にグレンはニヤニヤと笑うだけであった。これからしばらくは彼をこのネタでからかえるな、と思いながら。
「さあ陛下、そろそろ休憩もおしまいですよ?」
「…覚えてろよ、グレン」
三流悪役のような台詞もエドガーには似合ってしまうから不思議だった。
この後、グレンにエドガーから報復があったかどうかは、誰も知らない。