頼りがいのある背中は、何時の日か、私の知らぬ間に、
大人の男の人の、頼りがいのある背中になって、いました。














「お久しぶり」
「……?」


 五年ぶりとなる彼の姿はあどけない少年の面影を消し、青年の顔を見せていた。
 は砂埃を被らないように被っていたフードを取った。まさか城門で会えるとは思わなかったのだ。
 エドガーから見ればまだあどけなさを残した少女はにっこり笑った。


「エドガー…ああ、今は陛下、かな?」
「エドガーで良いさ。けど、いきなりどうしたんだい?従者の一人もつけずに遠出かな?」
「そうよ。家出をしてきたの」


 このとき、エドガー二十四歳、は十九歳だった。







「家出?」


 エドガーは自分が今し方聞いた言葉を確かめる。確かに、家出と言ったのだ。このお嬢さんは。思わず突然の客人であるを立ちっぱなしにさせて、エドガーは聞いた。
 はうん、家出、と何でも無さそうに言ってみせた。エドガーはその瞬間ため息が出た。


「本当に?」
「うん。父様ったら私に剣を止めろ淑女として振る舞えって五月蝿いから。そんなじゃじゃ馬じゃ嫁のもらい手が心配だ、なんて嘆く始末。本当、五月蝿いの」


 五月蝿い、という部分をことさら強調させ、はやれやれと大げさにため息を吐いた。
 そこにはエドガーが今はもう持っていない姿があった。エドガーは思わず目を細める。自分が今は持つことが出来ないものだ。優しく微笑んでやる。


「親父殿はこっちに大隊を向かわせるぞ?」
「大丈夫。きちんと置き手紙置いたから」


 そういう問題ではない。彼女の父親は娘を厳しく育てながらも心底愛していることをエドガーは知っている。数日中に彼の国からこっそりと使者がやってくるだろう。このじゃじゃ馬娘は彼の大事な一人娘であり、国王の娘、王女なのだから。


「王女様がそんなので良いのか?」
「良いも何もエスツァンという名の小さな島国の王女だから。子供時代は国民と遊ぶ国よ?」


 その海上国家は世界でも有数の海軍を持っている。人口はフィガロの半分程度だが結束は堅い。
 の父親である現在の国王は歴史上の名君と肩を並べる奇才だった。王位は彼の長男が継ぐことが決まっているためは他国との政略結婚が運命づけられていた。

 その、政略結婚の相手が、エドガーだった。
 けれど二人は最初はそれを知らなかった。ただ、両国の親善のため、とたちがフィガロを訪れた。
 その時、エドガーは十四歳、は九歳だった。マッシュも、その場にいた。
 双子の王子は明るい少女を妹のように可愛がった。も二人を兄のように慕った。

 三人が親交を持ち、友好的な感情を持ったところで両親たちは婚約話を子どもに持ち出した。そのときは十歳で、あの二人は好きだから良いよ、と簡単に了承を出した。
 しかしエドガーとマッシュは十五歳という多感な時期だった。マッシュはあからさまに動揺し、エドガーはもしかしたらとは思ったけど、と苦笑いを作った。
 結局婚約話は残っているが相手は定まらないまま、数年が過ぎた。

 フィガロの国王が死去し、双子の兄弟は道を別れた。
 マッシュは自由の道へ、エドガーは国王としての道を。
 その瞬間にの婚約相手は自動的に決まった。住所不定の王子は論外だ。国王に決まっている。
 けれどは恋愛結婚しかしないと豪語している。エドガーも相手の意向は無視したくない。父親は母親のいないに甘いのでそれを容認していた。


「それで、家出の先がここだっていうのはあまりに安易じゃないのか?」
「良いじゃん。私、この砂漠が好きなの」


 まるで反世界に来たようだ、とは笑う。フィガロに来れば毎回そう言った。
 エドガーからしてみれば回帰の場所である海を母として生きてきたの世界の方が反世界だ。初めてあの光景を見たときに心底そう思ったものだ。


「親父殿に決意を固めたって思われるぞ?」
「…別に、父様がそれを強制するなら私は従うよ。だって私はあの国の王女だから」


 その瞳は父親を困らせる娘のものではない。一国の王女のものだった。己の益よりも国の繁栄を優先させる、割り切った瞳だ。
 エドガーはそんなに堅く考えるものじゃないよ、とをなだめた。


「親父殿はそんな風にを追いつめたいわけじゃない」
「そうだね。父様はそういう人だから、ね」


 エドガーに恋をしたら、良かったのに。
 少女の言葉にエドガーは同意する。本当に、そうなれば良かった、と。けれど五年前に会ったきりの彼らは互いを歳の離れた兄と妹としか見ていなかった。


「俺としたことが失念していた」
「へ?」
「レディー、お手をどうぞ。城内に案内致しましょう」
「…どうも。」


 蠱惑的な笑みだった。五年前の彼の中に垣間見えたそれが今は表に見えていた。
 はそこに「大人」を感じて少しどぎまぎしながらもエドガーの手を取った。

 王女と王はゆっくりと、城内へと足を動かし始めた。