私の数年間。私の思い。音にも乗せられなかった、すべて。
屋敷の裏手は使用人しかおらず、今は誰もいない。私が一人でいたい時ここにやって来ることを使用人たちは皆知っていて、私が一言声を掛けると気を遣って近づかないようにしてくれる。一応誰もいないことを確認し、火を興し始めた。草木の少ない土の部分だけれど気づかれる前にその火は消さなければならないだろう。今日は両親が外出してその準備や片付けでこちらに意識を向ける人間は多くはないとはいえ、それでも屋敷から火の手が上がったと勘違いされるのも困る。腕の中のものを火にくべ、燃やした痕跡を消せば問題ないと踏んだのが今日だった。
箱に入れた溢れんばかりのものを誰にも見せるわけにはいかなかった。
「塵と消えてしまえ」
自分の口から出たのは呪詛だ。負の力が詰め込まれた、呪いだ。
箱に詰めてきたたくさんの紙束を、目の前でめらめらと燃えている火の中に勢いよくばらまいてやろうと、傾けたところだった。
「そんなにたくさんの文を、すべて捨ててしまうのかい?」
抱え込んだ紙束を文と言い切る声に顔を顰めた。
背後から、落ちてきた言葉。優しくて、包み込むように。残念がっているのか、心配がっているのか、どちらにしてもその人は手紙が燃えることを、よしとしていないようだった。
手を止めて振り返る。
この屋敷にいては都合の良くない男が、エドガーがそこにいた。
「どうして、ここに?」
「さて、どうしてだと思う?」
なぜ来られたのかなんて、愚問だ。昔、私がこっそりと屋敷の抜け道を教えたから。
街の人間の様に成りすましても品の良さは立ち居振る舞いでわかる。
城から抜け出してきたのだろうその人はどこか楽しそうだった。
「質問に質問で答えるのは、ずるいですよ、陛下」
「私に宛てた文を燃やすのも、ずるい」
「あ!」
箱の中の文を一つ、ひょいと取られた。慌てて片手で箱を支えならその手を追う。けれど私よりもずいぶんと背の高いこの人が手を上げれば、届くはずもなく。あっという間に風を切る不躾な仕草を睨めばにこにこ返された。
「陛下宛ではありません」
「では、誰に? 私は他にエドガー・ロニ・フィガロという人間を知らない」
あっという間に開けたその手紙の中身がどれなのかわかって思わず、舌打ちした。淑女のすることではないけれどそうせざるを得ない。
だってそれは、私が最後の一通だと思ってしたためた、初めて宛名を入れたものだったから。
「もう、燃やすんです」
「レディ、聞いてくれるかい?」
「……陛下」
彼のロニという名を、知っている人間がどれだけいるというのか。知らないけれど、片手にも満たないということは、わかる。
でも、私は家に逆らえぬ娘で、家に生きる女で、声に出せぬ思いばかり。こうして会っていたことを、どれだけの人間が知っていると言うのか。
「少しだけさ。家に尽くす女と、傲慢な王族の男の話だよ」
「……話をせずとも、その女は家に尽くすと思います」
「しかしね、傲慢な男はそれを受け入れたくない。さて、どうしたものかと思って思いついたんだ」
その晴れやかな笑顔は、私の中に爆弾を落としていった。
「傲慢な男は己の権力のままに娘の家に圧力をかけ、娘をさらってしまうんだ」
だから手紙を燃やすなと、その手紙の中身も燃やすなと、彼はそう言いたいんだろう。
家のために尽くす女はそれをよしとできない。無理だと分かっていても募った思いよりも、生まれ育った家を大事にしてしまう。そういう女がこの手紙を書いたのだ。
「その前に、私は燃やしますよ」
箱をひっくりかえして、赤く燃える火の中へ。手紙はあっけなく燃えていく。どんどん火は移り、ため込んだ紙切れと綴った文字を焦がしてしまう。
それに驚いて手を下ろした彼の手から最後の手紙を奪い取るとそれも火にくべてやる。よく燃えた。
「家に尽くした女は、おしまい」
唖然とする相手ににこりと笑い、景気がいいと思うままに、腰に下げている護身用のナイフを取り出した。ぎょっとされたが、気にせず、長く伸びた髪に手を伸ばした。両親に言われるがままに伸ばしてきた髪だ。ざくざくと、不揃いになるのもお構いなしに適当にナイフで切ってしまった。
さすがの王様も、目をまん丸にして見ていた。その顔を見るとほんの少し、すがすがしい気持ちになった。
「男にさらわれるなんて、ごめんです」
家なんて飛び出してやる。この女々しく綴った感傷ばかりしていた私にさよならをする。
今日、両親は私の見合い相手を見繕うために出かけている。帰った頃、いなくなってしまった娘を血眼になって捜すんだろうか。それでも、私はもう決めたのだ。
「私、世界中を旅します」
きゅっと、空になった箱を抱きしめる。
「今度は旅をして見た世界を綴って、手紙にします」
逃れられないと嘆いていた女はたった今、手紙と共にいなくなった。火が燃やした後の世界は心を軽く躍らせた。
先ほどまで余裕のあった顔つきが、今は眩しいものでも見る用に私を見ている。あなたには絶対選べない道を選ぶ私を、憎らしいと思うかもしれない。でも、そう思われて、向けられた思いが変わってしまってもいい。そう思った。
「この箱に手紙を詰めて、あふれる前に、エドガー、今度はあなたにちゃんと渡しますから」
初めて呼べた名に、私は誇らしく胸を張った。
(拝啓、)