昼間の騒ぎはどこへ行ったのか。
 静まり返った夜、背後の人の気配を感じてもは振り向くことなく眼前の湖に視線を向けたままだった。

「いい場所でしょう? 湖がとっても綺麗なのよ」
「オレじゃないかも、とは考えなかったのか?」

 野営をしている場所から少し離れた場所。湖の手前にある花畑を前には夜中、一人そこにいた。
 森はマカラーニャの森のような神聖さはないが、静かな心落ち着く場所だ。この星空の中だから余計にそう感じるのかもしれない。
 湖の方を向いていたはアーロンの方へ振り返る。その声に揺らぎはなかった。

「ここには、アーロンしか来ないもの」

 みんな、昼から飲んで騒いだから寝てるでしょうと、酒を飲ませた原因であるは笑う。

「そうか」
「ええ。ここ、とても綺麗でしょう?」
が好みそうな場所だな」

 アーロンは湖を見た。
 星の光が湖面に反射している。派手さはないがいつまでも見ていられそうな穏やかな様子だ。
 二人揃って湖を見つめる。

「一人旅してる時に見つけたのよ」
「……いつ、一人旅をしていた」

 アーロンが彼女と再会するまでは短くない時間が存在する。その多くを彼女は語らずにここまでやって来た。
 それを口にしなかったのはだがアーロンも彼女に問うことはしなかった。問えば答え合わせをすることになる。
 それをとうとう、アーロンは口にした。

「ずっとよ。アーロンたちと会うまで、ずっと」
「いつからだ」
「ナギ節が終わってからかしら」
「なぜ旅に出た」
「なぜ?」

 は一歩湖に少し近づき座った。膝を抱えて前を見つめている。
 アーロンは湖から背中を見せるに視線を移す。いつも目の前に姿を見せる印象の彼女の後ろ姿はアーロンにとっては見慣れない。

「アーロンがいなくなったから」
「オレが?」
「そう。死んだとか、生きてるとか情報がなかったから。何ヶ月か待ってみたけど、アーロン、いつまで経っても帰ってこないだもの」

 は呟いた。アーロンは少し皮肉めいた笑みを浮かべ彼女にとっては最悪の、アーロンにとってはただの事実を口にする。

「死んだと諦めなかったのか?」
「私が見てないし、最期を見た人も聞かないのに判断したくなかったから」

 そうだろう。彼女ならばそう考える。
 納得する己に笑みをこぼすが同時に浮かぶ疑問は脳裏に嫌な予想をよぎらせる。

「しかし、戦闘なんてしたことがないのによく旅に出たな」
「アーロンたちが旅立ってから、すぐに訓練したの。短期間だったから、あんまり上達はしなかったわね」
「そうか」

 今のはアーロンが見ても一流の戦士だった。剣も、白魔法も使える、優秀な戦士。
 けれど当時の彼女は駆け出しの旅人だっただろう。アーロンを想う気持ちだけで飛び出してしまう、ただの女性だった。


「十年経ったら、アーロンすごく老けてて笑っちゃった」
「おまえは変わらないな」
「そう? もっと大人の魅力が増したって言ってほしいな」 

 アーロンが言ったことの方が正しかった。
 は十年前よりはやや年をとったように感じさせたが、それでも十年前と変わらない部分の方が多かった。
 あくまで外見だけの話で、その瞳にはアーロンの知らなかった光も垣間見えた。
 それが、アーロンには気になって仕方がなかった。ある予想が頭をよぎっている。

「十年の間に何があった?」
「なにって……強くなった」
「一つ、聞く」
「はい、どうぞ」

 その言葉は、ずっと自身が目をそらし続けていただろう事実。
 自分が、認めたくなかった事実。
 アーロンはそれを、確かめるように、ゆっくりと口にした。

、おまえは死人だな」

 は後ろを振り向く。
 そしてアーロンも見たことのない哀しい笑みを浮かべた。

「正解」

 アーロンは、ため息をついた。もまた、自分と同じだったのか、と。




 人間の死は呆気なく、運命的な別れなど多くはない。にとってもそうだった。
 慣れぬ旅路で日暮れまでに辿り着けるはずの村はいつまでも見えなず、は焦っていた。太陽を見れば日が沈もうとしているのは明らかだった。
 早く次の村に辿り着かなくては。安全な野宿の段取りよりも彼女は人気のある場所へたどり着かねばと頭がいっぱいだった。
 だから立ち寄った村で夕方以降に谷の近くには行かぬよう言われていたのにその忠告を無視した。

 谷沿いを歩くなというのも、山賊たちが周辺を根城にしているからだ。一人現れたは目をつけられ襲われた。二、三人なら運が良ければ逃げ切れただろう。けど、十人はいた。
 こういうときだけは、女ということが悔やまれた。路銀を取られる程度では済まされないのは想像がついた。
 とにかく隙をついて逃げた。それでも、男たちは追ってくる。地の利は当然山賊にあった。

 走って走って、とにかく走ったはその途中、なにかに躓いて足を踏み外した。木々が鬱蒼としているから気が付かなかったが崖沿いを逃げ回っていたらしい。
 気づけば足元は地面を捉えていないし、視界一面、綺麗な青空だった。谷底は川だったようで、轟々と低く恐ろしい音がを飲み込んだ。
 それが、生きてる最後の記憶だ。



「それで、アーロンに会ってない! って、一番に思ったの。それはもう、ものすごく。ここで、死んでどうするのって」
「……」

 は妙に明るい声で言った。
 アーロンはそれを複雑な表情で見ていた。死んでも死にきれない思いをアーロンは否定しない。
 沈黙を選ぶアーロンへは話を続ける。

「死んだはずなのに、気づけば下流の村に流れ着いてたの。最初、助けてくれた人に死んでいるかと思ったって言われた。まあ、実際は死んでいたんだけれど。……それからは、アーロンに会うまでずっとスピラを旅していたわ」
「オレに会うため、か……思われてるな」
「ずっと、ずっと、会いたかったもの。私、聞きたかったことがあるの」

 はアーロンを見た。
 会えただけで、幸せだった。
 けれど、それでもは異界には行けない。まだ、聞いていないことがあったからだ。


「なに?」
「旅は終えてないが、十年前の質問の答えは、今言っても有効か?」

 涙が出そうでうつむいた。けれど地面にはぽたぽたと涙が流れて地面が濡れていく。
 指で涙を拭っても、流れる涙は止まることを知らない。思い切って顔を上げるは涙混じりに笑ってみせた。

「もちろん、いつまでだって有効よ」

 十年、諦めきれず、聞きたかったことだった。望んだことだった。





「生きてるころにこの場所を見つけてね。今夜もここに咲いている花が綺麗だなって思ってたの」

 アーロンは気づかなかったが彼女の手首には輪っかになった何かが引っかかっている。

「初めて見た時にも作ったのよ、これ」 

 湖を見ながら白い花で花冠を作っていた。作り慣れているのかきれいに綻びなくそれは彼女の手にあり、そこから頭上に移動した。

「花冠か」
「小さい頃にお嫁さんごっこだって、たくさん作ったの。ねえアーロン、愛を誓ってくれますか?」

 茶目っ気を込めて笑うはアーロンが昔見てきた頃よりも成長し、魅力に磨きがかかっていた。

「花冠で誓いの儀式か」
「夜、星明りだけの二人だけの約束なんて素敵じゃない?」

 返事の代わりにアーロンは一歩近づき優しくの頭を撫でる。

「ウェディングドレスは何がいいかなとか、それはもうたくさん考えましたけどね。でも式を挙げられるなら、ジェクトとブラスカがいてくれたらなって、それはずっと思ってたわ」
「まあ多少うるさいだろうが……いい式だろうな」

 優しい笑顔を浮かべた召喚士はとびきりの笑顔で祝ってくれるだろう。調子の良いガードは、二人をからかいながらも心から祝ってくれるだろう。
 はアーロンの言葉にくすくすと笑い、満足そうに笑う。

「アーロン、愛してるわ。私は先に異界に行くけれど、いつか来てね」
「まあ、そう遠くないだろう。あいつらなら大丈夫だ」
「そうね。きっと大丈夫ね」

 の頭を撫でていた手は頬を触れ、その眦を親指がそっと撫でる。
 アーロンのやわらかいまなざしには自然と笑みを深めていく。正しい再会ではないのかもしれない。いびつな願いと想いが二人をここまで存在させたのかもしれない。
 それでも二人はお互いが今ここにいることを責めることも問うこともない。自分自身が死人だからこそ、その想いの強さがわかるのだろう。のたった一人の為の願いに、アーロンはどうしてとは問わない。

「もう少しだけ待たせるが、あいつらと待っててくれ」
「待ちぼうけの愛しい人へ、愛の言葉はないのかしら?」

 いたずらめいた瞳の視線に耐えかねるように、アーロンはそれ以上言葉を紡げないようにしてしまう。
 言葉にしない分を込めるかのようにやわらかな唇を啄んだ。

「愛してるなんて、柄じゃないんでな」
「ずるい人ね、本当」

 は仕方のない、と言わんばかりにその腕でアーロンを包み込む。

「アーロン、私ここを見つけた時に白い花冠で、あなたにどれだけ愛してるか伝えたいって、そう思ったの。すっかり忘れてたのに思い出したんだから、私はもう満足できるんだなって、わかっちゃった」

 そう言いながら離れがたいと言わんばかりに段々と彼女の腕がアーロンを強く強く抱きしめる。それに応えるようにアーロンもを抱きしめる。

「愛してる」

 その言葉にアーロンの背中はより一層抱きしめられる。
 胸の中でそっと見上げる彼女は涙を流して笑っていた。
 泣くなとも言えず、そっと口付けをすれば彼女は笑う。そしてその体が淡く光り、光は徐々に空に昇っていく。


 それから、たくさん幻光虫の光が舞うと、そこにはアーロン一人となった。

「今度は、オレから会いに行くさ」

 空を見上げ、アーロンは静かに仲間の元へと戻る。
 シンを斃すのだ。
 その歩みに迷いはなかった。


(Carolla 9)