「いい天気ねえ」
「状況を考えて言え」
「焦る思いがある時こそ、みんなひととき休むべきだと思うわ」

 アーロンに向かって微笑むは誰が見てもとても嬉しそうであり、アーロンのことが心底好きなんだな、と思わせた。
 ただ、それは今この場ではそぐわない行動である。そして彼女の次の発言もまたどんよりとしている旅の仲間たちには奇妙に調子の上がった声だった。

「はい、提案です!」

 うきうき声で手を挙げるになぜそんな顔ができると、ほとんどの人間が顔に浮かべている。表情がわからないのなんてキマリぐらいだろうか。

「なにー? いい意見?」

 どうしたものかという仲間たちを代表してリュックが意見を促す。
 日が差し込むそこは森の中だ。穏やかな空気に満ちていて、鳥の鳴き声も聞こえてくる。魔物の気配も遠く、森の中自体は非常に穏やかで平和な様子だ。
 それなのにユウナ一行は明るい雰囲気とはとてもじゃないが言えなかった。
 名もない森である。地図ももちろんなければ特に注意するほど広い森ではない。すぐに抜けられそうな、そんななんてこともない森のはずだった。
 それなのに彼らはその小さな森で迷っている。来たはずの道がなくなり、行くべき道がわからない。
 焦りや戸惑いが漂う中、ただ一人楽しそうにしているのはただ一人。木漏れ日を気持ちよさそうに浴び、鳥の声に耳を澄ませる彼女はこの森に不安を覚えている様子は見えない。それにこの森に入る前、彼女は一度来たことがあるとはっきりと口にした。
 それなのに彼女は出口を指し示そうとはせず、にこにこ笑ってこう告げた。

「ここで、野宿しませんか?」
「野宿ぅ?」

 何考えてんの、とリュックがはっきりと口にする。
 ユウナやルールーはあからさまに非難することはないけれどの意図を読み切れないと戸惑い顔だし、ティーダとワッカについては意味が分からないとハッキリと顔に出ていた。出口を知っているのになぜ向かわないのだと口にするのをかろうじて踏みとどまっているのがよくわかる。

「この森ね、すごく景色がいいの」
「それは、そうね。綺麗な景色だと思うわ。でも、あなた出口を知っているんでしょう?」
「知ってるけれど、もう日も沈むし、この森は他に人の気配も魔物もいない。どちらにせよ野宿になりそうなら私のお願い、聞いてくれないかしら」

 アーロンのこと以外は任せっぱなし、と言っても過言ではないが態度こそやわらかいけれど絶対に譲らないと笑顔で告げている。
 ユウナはちらりとアーロンを窺うけれどアーロンは黙ってを見つめたままだ。
 ティーダが全員をぐるりと見渡す。怒ろうにもの言うことも一理あるのだ。太陽は沈みかけていて、森を抜けるにも微妙な時間帯だ。野営の準備をするにしてもそろそろ場所を決めなければ暗闇になってしまう。
 開けた場所に出れば飛空艇を呼び出せるとはいえ結局出口がわからない。

「そんなにこの森にいたいワケ?」
「そうね、とても思い出深いのよ」
「フーン」
「見たら、わかるわ」

 だめかしら、お願い。
 アーロンについていくと言った時以来の彼女の押しの強さに最終的にユウナが頷いたため、一行は森の中での野宿を決めた。

 ある程度開けた場所を見つけたため、一行はそこで火を起こした。
 魔物の気配もなく、夜の見張りも最低限でいいだろうという話にもなった。が言う通りこの森は非常に穏やかな気配で満ちている。
 食事を済ませて少しくつろいだ時間。
 は視界に見える仲間を見渡し、そしてゆっくりと口を開いた。

「お願いがあるの」

 その瞬間のの顔は凛として、誰も寄せ付けないような力に満ちていた。みんなが黙って彼女を見ていた。口を挟めるような空気はなく、口の端を上げて微笑む彼女はいつもの穏やかさを潜めていた。
 待ってくれている全員の顔をひとりずつ、確かめるように視線を送る。

「近々旅を抜けさせて欲しい」

 その言葉を聞いた途端、全員が目を見開いた。

「なんで」
「冗談、だよね?」

 真っ先に反応したのはティーダとリュックだ。
 他の面々は驚いたまま言葉が出ない。
 はただ微笑んでごめんねと、一言。

「私、アーロン会えた時、絶対ついていくってみんなに迷惑かけながらついてきたでしょう?」
「あれはまあ、驚いたよな」
「ワッカ」
「だってよう」

 緊張する場に素直に返事をするワッカには思わず笑ってしまう。彼はのことをずっと怪しんで周りの仲間のために気を張っていたけれど、本当にがただアーロンと一緒にいたいという、それだけのために旅についてくる人であり、それでいて旅の邪魔をすることもなければ彼らと同じぐらいにユウナを尊重しているとわかってからは随分と打ち解けていた。

「私、もう一つしたいことがあったのを忘れていたの。この森に来たことがあるのも、今来て思い出したぐらい」
、それは、何か事情があること?」

 声はユウナのものだった。
 彼女の声はいつでも仲間の中でよく通り、はその心地の良い声色にええと頷いた。

「私の身勝手なことだけれど、そうね、どうしても、私は旅の最後までお付き合いできない。できればブラスカの時についていけなかった分、一緒に行きたかった。この気持ちは本当よ、ユウナ」
「理由は、言えない?」
「ええ。女は秘密があると美しくなれるから」

 冗談めかして答えをはぐらかす彼女に怒る人間はいなかった。なんでと、目が訴える。
 あれだけアーロンアーロンと言い、力づくでついてきた彼女が突然旅を辞めるということはアーロンから離れるということだ。
 自然と彼らの視線はアーロンの方へと集まっていく。

「……決めたんだな」
「ええ。決めたわ。私、やりたいことのためならなんだってできた。昔の私を知ってるなら、私がどれだけ変わったかわかるでしょう?」

 微笑む彼女にアーロンは黙ってそうかと頷いた。
 彼女の理由を伏せた別れの宣言にアーロンが文句を言わなければ誰も文句を言えない。言えるとすればユウナだけれど、ユウナはただ神妙にを見つめたままだ。

「ったく! 妙に湿っぽいな! 仕方ないから秘蔵の酒でも飲むぞ!」
「ハ? ワッカ、何言って」
「いいわねえ、私飲むの大好きよ。私も大事にしていたお酒振舞っちゃいましょうかね」

 とっても美味しいのよと、明るく振舞って、ワッカも酒を取り出して、そうするとアーロンまで見たことのない酒を取り出した。
 カラ元気のその場で無理にでも明るく振舞ってくれて、その声に乗っていつも通りを装ってくれる仲間たちには心の中で深く頭を下げた。
 この森は懐かしく、そして苦い思い出の地であると、どうして忘れていたのだろうか。
 現役の強い酒を年若の三人にも遠慮なく含ませて、全員で、妙に明るく始まった酒飲みはすべてを吹き飛ばすように夜遅くまで続いた。



「ん……」
「あら、ユウナ。起きた?」

 の持ちだした酒を含んだなり、ユウナは段々とぽかぽかとしてきた体を自覚しながらも重たくなった瞼を閉じて、目を開ければ今だった。
 周りは静まり返り、火も小さくなっている。
 星明りと火に照らされるはアーロンとそう年が変わらないはずなのにルールーより少し上ぐらいにしか見えなかった。

「ねえ、はどこへ行くの?」
「……そうね。ユウナ、あっちに座りなおさない? 星がきれいに見えるわ」

 輪から離れるけれど視界からは外れない木の根元、そこに二人並んで座る。木々の間から見える星々は確かに美しく二人を見守っている。

「それで、何だったかしら」
は、どこへ行くの?」

 微笑むは有無を言わさない何かがあったのだが、ユウナはそれでも尋ねるのをやめなかった。
 ユウナの真っ直ぐなまなざしを受け、は微笑み、彼女の頭を優しく撫でた。

「どこかは、私も知らないわ」
「知らない?」
「ええ。知らないけれど、私は随分と長い寄り道をしていたから、目的地に向かわないといけないの」
「それは、もしかして」
「スピラであって、スピラではない場所ね」

 それは、ユウナには簡単に想像が出来た。
 その言葉で頭に浮かんだ場所は、このスピラと繋がっているのに、どこか別世界のような雰囲気をかもし出す、異界の入り口だった。
 この森を知っていると言った後、彼女の瞳はどこか遠くを見るように遠く、どんどんその瞳の光や穏やかになっていた。

「うそ」
「ごめんね、ユウナ。騙すみたいになってしまって」

 は泣きそうな顔でこちらを見るユウナの頭を再び撫でる。
 彼女の体は温かい。生きていて、明日に希望のある身だ。とは違う。

「私、忘れていたけれど、叶えたいことはひとつだけなの」
「……それは、どんな願い?」
「アーロンに、この場所で伝えたいことがあるの」

 とても穏やかに微笑む彼女の笑みにユウナは止められるわけもなかったけれど、これが彼女と過ごせる最後の夜なのだと知った。
 死人は留まり続けてはならない。本当ならユウナは今すぐにでも彼女を異界に送らなければならなかった。

、それは、本当は今夜なのね」
「そうね。アーロンに伝えてしまえば、私の長かった旅はおしまい」

 の返事にユウナは黙る。
 夜空を埋め尽くすかのような星たちは二人のことなど気にもかけない。ただいつまでも同じように光っていた。
 その光を受けながら、ユウナは口を開いた。

、今夜まで、この旅に付き合って欲しい」
「でも、大事な旅の途中なのに」
「大事な仲間の旅の理由を知らないまま見送って、旅を続けたくありません」

 終わりへ向かう旅を続けているのはユウナも同じだ。どんな終わりになるのか、彼女の未来は未だに不安定なままだけれど、今までの召喚士とは違う道のりを歩みだしていることだけはわかっている。
 彼女はの旅も抱えて、この後も旅をしたいという。

「とても身勝手な旅の話よ?」
「いいの。ただ、と話したいから」
「じゃあ、最後に一人ぐらい、聞いてもらおうかしら。私の旅の話」

 最後と口にした瞬間、ユウナが淋しそうに微笑んだ。
 はその微笑みをきちんと見届けて、そして紡ぎだす。
 それは気持ちの良いハッピーエンドではないけれど、確かに彼女が歩んできた旅の話だった。
 誰にも聞き届けられるはずのなかった、たった一人の女性の短い旅の話。
 ユウナはただじっと、その声に耳を澄ませることにした。

(Carolla 5)