しっかりとした足取りで男は前へ前へと進んでいく。
彫り物をした男の外見からすると少し浮きそうなぐらい、彼のいる場所は幻想的だ。足元には光を放つ植物が花を咲かせ、空中には幻光虫が好き好きに光っている。
奥へ向かいながら彼は目当ての人影を見つけるとその顔を笑顔で崩し、大きく手を振る。
「よ、悪ぃ! 遅くなった!」
「お疲れさま、ジェクト」
ブラスカは近づいてきた男に向かって微笑んだ。
隣に立つもまた、彼に微笑んだ。
「お久しぶりだね、ジェクト」
「お、じゃねーか。なんだそんな若いうちからこっち来ちまってよ」
苦笑いを浮かべながらの頭を髪がくしゃくしゃになるくらい乱暴に撫でてくるジェクトに彼女の方も苦笑いだ。
もう、と手が離れた途端に髪を整える彼女はジェクトが十年前に出会った頃よりは多少大人びているらしい。困ったように笑う姿は少女の名残はなく、女性らしさがあった。
彼女はスッキリした顔のジェクトに気になっていたことを口にした。
「ジェクト、ティーダとは仲良くできた?」
十年前、ほんのわずかな時間ジェクトと共に過ごした時間の大半、彼は息子の話ばかりだった。
うまく息子と付き合えない。すぐに意地悪をして泣かせてしまう不器用な父親の話の数々にが呆れたのも随分と懐かしい話だ。
ジェクトはそのことを思い出したようで、ばつが悪そうな顔をする。
「どうだかな。最後に泣かれちまった」
「それは、嬉しいのと悲しいのが一緒くたになったんじゃないかしら?」
さっき会ったばかりだったんでしょうと、は微笑む。
ジェクトはああ、と頷いた。ようやく再会した息子の成長ぶりに、そして変わらない泣き虫な部分も、ジェクトにとってはどれもこれもが大切な一瞬だった。
ジェクトの長い役目はとうとう終わりを告げたけれど、彼にわからないことといえばいるとわかっていたブラスカのことではなく、いると思ってもいなかったの存在である。
「おまえも異界にいるとは思わなかった」
「寄り道していてね、実は異界には少し前に来たばかりなの」
「どういうことだ?」
寄り道、という言葉にジェクトは首を傾げる。
彼はスピラ中を旅してまわったし、その間にスピラのことも様々学んできたけれど目の前の彼女と関連付けることはうまくできなかったらしい。
彼の中ではスピラに来た当時に出会ったの印象のままなのだ。
「死人になって少しばかりスピラで寄り道してたのよ」
「……寄り道ってーと」
「高尚な理由なんて何一つない、とっても個人的な寄り道ね」
彼女が死んでもなお果たしたいことがあるという。
ジェクトはと過ごした日々はほとんどないけれど、それでもわかるのは彼女が馬鹿と言ってもいいぐらいアーロンのことしか頭にない人間だったということだ。どうしてあんなの、と当時も今も思うが人の趣味はそれぞれである。
彼女をまじまじと見て、そしてジェクトはえらくまじめな顔をしながら口を開いた。
「愛だな」
「そうね、愛ね」
「お熱いこった」
羨ましいでしょうと言い切るにジェクトは両手を挙げて降参だ。こういうのは相手をするだけ割に合わないのだ。
こうして三人で穏やかに過ごしている間も生きている人々は必死に戦っている。彼らの未来を決める、大きな戦いだ。
もう三人にはただ祈り見守るしかないけれど、大事な人たちが悔いのない未来を選び取ることを全員が願っていた。
それからどのぐらい経っただろうか。
異界の向こう側、にとってはここ最近で見慣れた姿が少しずつ近づいてくる。
「ああ、もうすぐ来るね」
ブラスカは旧友との再会を喜ぶような、会ってしまうことを切なく思っているような、どちらも入り混じった微笑を浮かべる。
はそんな顔をしてほしくなかった。ここにいる全員が、望むことを精一杯行って、そして今ここで集まろうとしているだけなのだ。決してそれは不幸せなことでもなんでもないと、彼女は思っていた。
だからことさら明るく、面白がるようにジェクトに声をかけた。
「ジェクト、アーロンのこと見た? 随分と老けてたでしょう?」
「おう、あれはビックリだな。随分オヤジくさくなってる」
「そうなのかい?」
ブラスカの記憶にあるアーロンは十年前の若かりし頃の彼だ。十年、死人になってしまった彼にとってそれはどんな年月だったのか、ブラスカは聞くすべを持たない。それももうすぐ、本人に聞いてみればいい話だけれど。
堅物な態度は相変わらずだ、と笑うジェクトにブラスカは苦笑した。
人影が少しずつ近づいてくる。
はそういえばと、隣のブラスカに言い忘れていたことを思い出す。
「ブラスカ」
「なんだい?」
「私ね、十年前の無理な約束を聞いてもらったわ」
ブラスカは首を傾げてしまう。無理な約束とはなんだっただろうか。
十年前、旅立つ前のことだろう。無理な約束と言えば旅についていきたいということだろうか。それは違う。ではなんだろうか。目を閉じて、ブラスカは考える。あの頃彼女が言い出しそうな無理なことを。
そして思い当たった。ブラスカもいる前で、彼女はそう、随分と大胆な愛の告白を告げていた。
「アレ、かい?」
「そう、あれだと思う」
「なんだよそれ。オレ様にもわかるように言えよ」
はジェクトの睨みをものともせず、乙女の秘密です、と笑ってみせる。乙女か、なんて返しには隣に思い切りぶつかってたたらを踏ませていた。随分とたくましくなったものである。
ブラスカもがそう言うなら、と黙秘することにした。なにしろ乙女の秘密である。
「ああ、来たみたいだな」
「これで久々の再会だね」
「アーロンッ!」
三人から少し離れたところに、赤い衣が見える。その赤を見つけた瞬間には駆け出し、アーロンもそれを見て早足になり、飛びついてきたその体をしっかりと受け止めた。
「久しぶりだな」
「十年より、すごく短いけどね。やっと会えた」
二人をとりまく空気は、とても柔らかで想いが通じ合ったと見た瞬間にわかる。
ジェクトは見てはいけないものを見たかのように顔をしかめ、それから呆れ顔になる。
「なに、おまえらやっとこさくっついたってわけか?」
「ジェクト、こういう時は茶々を入れるものじゃないよ。愛しい二人の再会だからね」
「ブラスカ、さりげなく楽しんでるんでしょう?」
が苦笑するとブラスカは笑って誤魔化した。
何を気負うことなく四人ともが笑い、再会を喜んでいた。
「あの湖には負けるけど異界の花も綺麗よ」
「そうか」
「せっかくだしここで花冠作ってもらいたいな」
「……」
「無理だろ、こいつにゃ」
「アーロン、不器用だからね」
剣を振るうならお手の物だろうが花冠なんて作ったことはないはずだ。見たこともないかもしれない。
は不格好に出来上がる花冠を想像して破顔する。なかなか被りがいのある出来上がりだろう。にとって世界一の花冠だ。
「アーロンの愛があるなら私が一番似合うから大丈夫よ」
自信満々に微笑みかけるに、ジェクトはお腹を抱えて大笑い、ブラスカはひくひくと頬を動かしたかと思えば後ろを向いて堪えきれずに笑っている。
お願いするの視線の先は手で顔を覆って苦悩するアーロンがいる。
「作り方、教えてあげるわね」
「勘弁してくれ」
そう言いながらもきっと花冠を作ってくれることをは知っている。
こんな些細なことがなんだかおかしくて、嬉しくて、はアーロンを抱き締める。
「やっと、捕まえた」
その言葉の返事はをまるごと包み込む腕の力と、耳元に落ちる優しい声だった。
「捕まえられてやる」
「捕まりたかったんでしょう?」
おどけた調子で返せば苦しいぐらい抱きしめられては笑いだしてしまう。
の後ろではジェクトの盛大な舌打ちとブラスカの軽やかな笑い声が聞こえている。
「長い旅路もこれでおしまい。もう絶対逃してあげません」
「そうしてくれ」
を隠すようにジェクトとブラスカを背を向け、アーロンはへ一瞬の口づけを落とす。
「冠にならなくても文句は言うなよ」
「だから愛があるなら大丈夫よ」
そういうのはよそでやってくれ!
ジェクトの大声に二人は顔を見合わせ苦笑いだ。
それから誰からともなく笑い出し、しばらく異界の端では賑やかな笑い声が満ちていた。
(Carolla 10 END)