その日は疲れていた。確かに、私は疲れていた。

「……あのじじいども若いからって……」

 私は若いからといって寺院の事務仕事のあれこれを押しつけられ、それをまた律儀にこなし、そしてまた仕事を押しつけられ、こなし、と終わらない仕事に嫌気がさしていた。
 働けば働くほど、どうにもこの世界がろくでもないと知るばかり。

「夢も希望もありませんっての」

 ぶつぶつ。書簡を抱えて歩いていた。
 そう、書簡を山ほど抱えていた私には足下の様子などよくわからない。その上仕事場の服は足首まであるゆったりとした、それは足裁きの悪くなるような服だった。
 つまり、なんでもないところで躓いた。

「っあ!」

 ヤバイこれ重要な書類も入ってるんですこれぶちまけるといろいろ機密上まずいんですいくらここが寺院内といっても見られて良いものと悪いものがあって!
 と思いながらスローモーションで私の体は前のめりに落ちていった。

「……?」

 と思ったらぐいっと引っ張られて逆に背中が何かに当たった。
 振り向けば、仏頂面の、僧兵が立っていた。

「あ、す、すみません」
「……書類は無事か」
「は、はい」

 おい書類かよ私じゃないのかようら若き女性の心配はねえのかよ。
 と思ったことはみじんも感じさせずにそっと離れてお礼を言った。にこり。この寺院、本気で仕事をするためにはなかなか根性が要るのだ。

「ありがとうございました」
「どこまでだ」
「?」

 首をかしげればどうやら、この書類の山を持つのを手伝ってくれるつもりらしい。

「大丈夫ですから。あなたもお仕事があるでしょうし」
「何が書いてあるかを見るつもりはないから安心しろ。……その腕でそれだけ持つのを見たままにするのも後味が悪い」

 仏頂面で、目をそらしながら、つまり、この人は気を遣っているのだった。
 別になんてことはない。こけそうだった私を助けてくれた。重そうだから手伝おうとしてくれる。そう、ただそれだけの話だったのだ。
 それなのに私はそのあとどぎまぎしながら見られても問題ない書類分、彼に持って貰い、目的地まで送って貰い、それから呆然と、その背中の美しさに見惚れていた。


(恋とはそういうものなのです)
title:忘却曲線